古きを訪ねて新しきを知る「温故知新」 前略、還暦からの歴史再入門、今日は飛鳥時代の後半、大化の改新についてお話ししていきたいと思います。皆さん、大化の改新という言葉、学生時代に一度は聞いたことがあると思います。645年、乙巳の変という事件から始まる一連の政治改革のことですね。ただ、当時は年号を覚えるだけで精一杯で、実際にどんな中身だったのか、きちんと理解できていた人は案外少ないんじゃないでしょうか。今日はそのあたりを、じっくりゆっくりお話ししていきますので、どうぞ最後までお付き合いください。 まず時代背景からお話ししましょう。飛鳥時代、聖徳太子が亡くなったあと、朝廷の中では蘇我氏という一族が非常に大きな力を持っていました。蘇我馬子、そしてその息子の蝦夷、さらにその子の入鹿と、三代にわたって天皇家をしのぐほどの権力を握っていたんです。特に蘇我入鹿は、聖徳太子の息子である山背大兄王を自害に追い込むなど、かなり強引なやり方で権力を固めていきました。天皇を上回るような振る舞いをする豪族の存在に、危機感を抱いた人たちがいたわけですね。 その危機感を持った代表格が、中大兄皇子と中臣鎌足です。中大兄皇子はのちの天智天皇、中臣鎌足はのちの藤原鎌足として、日本史に大きな名前を残すことになる二人です。この二人が中心となって、蘇我氏を打倒する計画を練っていきました。そして645年、飛鳥板蓋宮という場所で、朝鮮半島の使者を迎える儀式の最中に、蘇我入鹿を暗殺するという大事件が起こります。これが乙巳の変です。突然の出来事に父親の蝦夷も観念し、自ら邸宅に火を放って命を絶ちました。こうして権勢を誇った蘇我氏の本流は、あっという間に滅びてしまったんですね。 さて、ここからが本題の大化の改新です。蘇我氏を倒しただけでは政治は変わりません。中大兄皇子たちが本当にやりたかったのは、その先にある国のかたちを大きく作り変えることでした。当時の日本は、豪族たちがそれぞれ土地や人民を私有し、まるでミニ国家のようにバラバラに支配している状態だったんです。これでは中央でどれだけ立派な政治をしようとしても、地方はてんでばらばら、税もきちんと集まらないし、いざというときに国全体で動くこともできません。そこで中大兄皇子たちは、天皇を中心とした一つの強い国家をつくろうと考えたんです。 この改革の中で特に重要なのが、公地公民と...