はじめまして。 私は由美子、三十七歳。夫の実家で義父と二人暮らしです。 夫は単身赴勤で、もう二年近く帰ってきていません。 義父は八十九歳。要介護5。ほとんど言葉も出ず、昼間は眠ってばかり。 夜中の介護は私が一人でやっています。オムツ交換、拭き取り、体位変換……毎晩同じ作業。 https://youtu.be/nUfzPN8-cRk 異変は三ヶ月前から始まりました。 深夜二時過ぎ、私が義父の体を拭いているとき。 いつもは目を閉じている義父が、ぽつりと。 「……声、もっと出していいよ」 私は手を止めて、耳を疑いました。 最近は「お水」「痛い」すら言わない人なのに。 幻聴かな、と思ってそのまま作業を続けました。 でも次の日も、その次の日も、必ず同じタイミングで。 私が義父の足の付け根を拭いているとき、耳元で。 「由美子……声、もっと出していいよ」 「我慢しなくていい」 「誰も聞いてないから」 最初は本当に小さな、掠れた声でした。 でも日に日に少しずつ大きく、はっきりしてきて。 まるで、私がどれだけ我慢しているか知ってるみたいに。 私は夜中でも夫に電話できないし、近所にも聞かれたくない。 だからいつも、歯を食いしばって声を殺してきました。 寂しい夜も、辛い夜も、ひとりで慰める夜も。 義父はそれを見てるって言うんです。 「毎晩見てたよ」って。 「由美子が泣きながらしてるの」って。 先週、とうとう耐えきれなくなって、 夜中の介護中に聞いてしまいました。 「義父さん……どうしてそんなこと言うんですか? 何が見えてるんですか?」 すると義父は、初めて目を開けて、私をまっすぐ見て。 薄く笑って、こう言ったんです。 「俺の目、もう見えないけど……お前の息遣いは、全部わかる」 「熱も、震えも、指の動きも」 「だから……声、もっと出していいって言ってるだろ」 その瞬間、背筋が凍りました。 だって、私が一人でしているとき、いつも決まって同じ順番で触るんです。 最初は首筋から始まって、胸を撫でて、下に降りて…… 義父はその順番を、全部言葉でなぞったんです。 「次はここだろ?」「もっとゆっくりだろ?」って。 今夜もまた、二時になりました。 私は震えながら義父の部屋に入りました。 オムツを外して、拭き取りを始めると、案の定。 耳元で、あの声。 「由美子……今夜は我慢しないで」 「声、全部聞かせて...
「ねぇ、今日も来てくれたんですね。嬉しいです」 そう言って微笑んだのは、婚活支援サークルで出会った美緒さんだ。 年下というほど若くもないが、僕よりはだいぶ若い。 そのせいだろうか。彼女の笑顔を見るたび、胸の奥がざわつく。 https://youtu.be/jSkfKxbo4KA 「なんか…緊張してる?」 「えっ、いや…少しだけ」 「ふふ。正直でいいですね」 彼女は僕の隣に腰を下ろし、わずかに距離を詰めた。 その瞬間、ふわりと香りが漂った。柔らかくて落ち着く…なのに、どこか甘い、女性の気配を含んだ香り。 ──あぁ、この感覚。 若い頃、好きだった子の髪に顔を寄せたときに感じたような… 忘れていたはずの、ときめき。 「大丈夫? なんだか表情が変わりましたよ」 「いや、なんでも…その、いい香りだなって思って」 「えっ…わ、私の…ですか?」 「うん。なんだか…懐かしくなる」 彼女は顔を赤らめ、視線をそらした。 その姿が、また胸に火をつける。 「そんなふうに言われたの、久しぶりです。嬉しい…」 「僕も、こんな気持ちになるとは思ってなかったよ」 「どんな気持ち?」 「……若返ったみたいだ」 自分で言って照れてしまう。 けれど美緒さんは静かに笑い、僕の手の近くにそっと自分の手を置いた。 触れてはいない。でも、触れそうで、触れない。 この、わずか数センチの距離がたまらなかった。 「私もね…あなたと話すと、落ち着くんです。 なんていうか…安心して、本当の自分でいられる感じ」 彼女はゆっくりと顔を上げ、僕を見つめた。 その瞳は、まるで何かを確かめるように揺れている。 「もし…嫌じゃなかったら、もう少し近くにいてもいい?」 「もちろん。嫌なわけないよ」 「よかった…」 ほんの少し、彼女が体を寄せる。 さっきよりも濃く、香りが触れる。 それだけで、胸の鼓動が若い頃に戻っていく。 「ねぇ…手、繋いでもいいですか?」 「…うん」 彼女の手が触れた瞬間、 温もりが、心の奥の埃を一気に吹き払っていくようだった。 「あなたのその優しさ、もっと知りたい…」 「僕も。君のこと、もっと知りたくなってる」 静かなホールの中で、ふたりの会話だけが小さく響く。 その香りは、確かに僕の中の“忘れていた若さ”を呼び覚ましていた。