最近、ふと思うんですよね。 遠慮する美徳とか、謙虚でいる美徳って、もしかしたら昔のものになっちゃったのかなって。 どこを見ても、自分の権利を堂々と主張する人が増えたような気がするんですよ。 もちろん、権利を主張すること自体は悪くないんです。言わなきゃ損することだってありますからね。 ただ、問題はその主張の仕方なんですよ。 自分の権利にはものすごく敏感なのに、他人の権利には驚くほど鈍感な人がいる。 自分がコンビニで店員さんに待たされると「早くしろ!」と怒るのに、自分がレジでもたついて後ろに行列ができても、まったく気にしない。 おそらく本人の中では、時間というものが自分専用の通貨なんでしょうね。 他人の時間は無料。自分の時間は金塊。 そんな独自の経済システムで生きているわけです。 しかも最近は、謙虚な人ほど損をする場面もあります。 「いやいや、私なんて大したことありませんから」 なんて言っている間に、横から来た人が「私がやります! 私に任せてください!」と全部持っていく。 そして失敗したら「あの人が協力してくれなかったからです」と言い出す。 いや、あなたの自信はどこから来て、責任はどこへ行ったんですか? 宅配便より行方不明になるのが早いですよ。 ただ、ここで面白いのが、遠慮と謙虚さって、必ずしも自分を小さく見せることじゃないんですよね。 本当に謙虚な人って、自分が間違っている可能性を考えられる人なんだと思います。 逆に、自分の意見が絶対に正しいと思っている人は、他人の話を聞く必要がありません。 だって、自分の頭の中に最高裁判所があって、裁判官も検察官も弁護士も全部自分なんですから。 しかも判決は毎回、無罪。 すごいですよね。こんな司法制度があったら、裁判所は一日で閉鎖です。 とはいえ、遠慮ばかりしているのも考えものです。 何かを頼まれるたびに「いいですよ」と引き受けていたら、いつの間にか自分の仕事に加えて、他人の仕事まで全部背負うことになる。 気がつけば、職場で一番謙虚な人が、一番忙しい人になっている。 これじゃあ、謙虚というより無料の便利屋さんです。 しかも、便利屋さんなら料金表がありますけど、謙虚な人には料金表がない。 むしろ「いつもありがとう」の一言で、追加サービスまで要求される始末です。 結局のところ、大切なのは、何でも遠慮することでも、何でも強く主張することで...