古きを訪ねて新しきを知る「温故知新」 前略、還暦からの歴史再入門、今回のテーマは古代日本、古墳時代です。 大和政権と豪族たち、そして前方後円墳についてお話ししていきますね。 みなさん、こんにちは。今日も一緒に日本の古代史を旅していきましょう。学生時代、教科書でちらっと見た「前方後円墳」という言葉、なんだか難しそうな響きでしたよね。鍵穴のような形のお墓、というくらいの記憶がある方も多いんじゃないでしょうか。でも実はこの古墳時代、日本という国がどうやって形作られていったのか、その始まりを知る上でとても大事な時代なんです。今日はゆっくり、かみくだいてお話ししていきます。 まず古墳時代というのは、だいたい三世紀の後半から七世紀ごろまでを指す時代です。弥生時代の次に来る時代ですね。弥生時代には稲作が広まって、村同士がまとまって小さなクニのようなものができていきました。その延長線上で、力を持った豪族たちがさらに大きな勢力へと成長していったのが古墳時代です。名前の通り、この時代の大きな特徴は、各地に巨大なお墓、つまり古墳がたくさん作られたことにあります。 古墳にはいろいろな形がありますが、一番有名なのが前方後円墳です。丸い部分と四角い部分がくっついた、上から見ると鍵穴のような、あるいは瓢箪のような独特の形をしています。この形、実はほかの国にはあまり見られない、日本独自のスタイルなんですよ。大阪府にある大仙陵古墳、いわゆる仁徳天皇陵と伝えられているお墓は、全長がなんと四百八十六メートルもあります。東京ドームがすっぽり何個も入ってしまうくらいの大きさで、世界最大級のお墓のひとつとも言われています。子供の頃、写真で見て「こんな大きなお墓、いったい誰がどうやって作ったんだろう」と不思議に思った方もいらっしゃるかもしれませんね。 こうした巨大な古墳を作れたのは、それだけ強い力を持った権力者がいたからです。当時、日本列島の各地には豪族と呼ばれる有力な一族がいて、それぞれの地域を治めていました。その豪族たちの中でも、特に大きな力を持っていたのが、奈良盆地を中心に勢力を広げた大和政権です。ヤマト王権とも呼ばれますね。大和政権のトップに立つ人物は大王、おおきみと呼ばれていました。これがのちの天皇という存在につながっていくわけです。 面白いのは、前方後円墳という形のお墓が、奈良県だけでなく日本各地に...