前略 還暦からの歴史再入門、今回のテーマは「古代日本 縄文土器」です。 暑さもようやく和らいで、博物館や資料館に足を運びやすい季節になってきました。冷房の効いた館内でガラスケースを覗き込みながら、ゆっくり歴史散歩、というのも贅沢な時間の使い方ですよね。今日はそんな展示室でよく主役を張っている「縄文土器」について、一緒に学び直してみましょう。 「縄文土器」と聞くと、教科書に載っていた茶色くて縄目模様のついた壺、というイメージを持つ方が多いのではないでしょうか。実はこの土器、今からおよそ1万6千年前から2千数百年前まで、なんと1万年以上にわたって作られ続けていたものなんです。1万年といってもピンとこないかもしれませんが、私たちが「もう半世紀前か」と懐かしむ昭和の記憶が、たった70?80年前のこと。その百数十倍もの長い時間、縄文の人々は土をこね、火で焼き固め、暮らしの道具を作り続けていたことになります。 なぜそんなに長く土器が使われ続けたのか。理由のひとつは「煮る」という調理法を手に入れたことにあります。それまで焼く・干すが中心だった食生活に、土器のおかげで「煮る」が加わりました。木の実のアク抜きができるようになったり、魚や貝を柔らかく食べられるようになったり。土器の登場は、いわば縄文人にとっての台所革命だったわけです。 模様にもちゃんと意味があります。おなじみの縄目模様は、文字通り縄を転がして表面に押し付けてつけたもの。単なる飾りというより、実用と美意識が一体になった工夫でした。中でも有名なのが、新潟県の信濃川流域で多く見つかる「火焔型土器」。燃え上がる炎、あるいは荒れ狂う波を思わせるような、驚くほど装飾性の高い造形です。煮炊きの道具にしては手が込みすぎているとも言われ、当時の人々が土器づくりに込めていた祈りや誇りのようなものを感じさせます。 地域ごとの個性が豊かなのも縄文土器の魅力です。関東の「勝坂式」、東北の「大木式」、新潟の「火焔型」など、同じ時代でも地域によって形や模様がまったく違います。インターネットもテレビもない時代に、それぞれの土地で独自の美意識が育まれていたのかと思うと、なんだか胸が熱くなりませんか。 ここで、実際に楽しむための小さなヒントをいくつかご紹介します。 まずは、お住まいの近くの県立・市立博物館の常設展示を覗いてみること。有名な国宝級の土器は東...