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嫁いびりの果てに―認知症の義父が豹変した夜

嫁いびりなんて、生ぬるい言葉で片付けられるようなことじゃなかったんです。 あれは、もう、一種の宗教儀式でした。義母が亡くなってから、義父との二人暮らしになったのですが、義父は元々、物静かで、どちらかというと気弱な人でした。 なのに、最近になって様子がおかしくなったんです。最初は、夜中に意味不明な独り言を呟くようになったくらい。でも、それが徐々にエスカレートしてきて。 ある晩、私はいつものように義父の部屋の前を通ったんです。すると、部屋の中から、何か硬いものを叩きつけるような音が聞こえてくる。 恐る恐るドアの隙間から覗くと、信じられない光景が広がっていました。義父が、仏壇の前に正座して、遺影の義母に向かって、般若のお面を被ったまま、何かを叩きつけているんです。 しかも、その手には、包丁が握られていました。仏壇のろうそくの灯りが、般若のお面の不気味な表情を一層際立たせていました。 顔に塗られた白い絵の具のようなものが、血のように見えて、ゾッとしました。声も出せずに立ち尽くしていると、義父はゆっくりと顔をこちらに向けたんです。 般若のお面の奥で、義父の目が、ギラリと光ったような気がしました。それは、もう、私が知っている義父の目ではなかった。 まるで、何かに取り憑かれたような、冷たく、虚ろな目でした。そして、義父は、ゆっくりと立ち上がり、包丁を構えながら、私に向かって歩き出したんです。 その足音だけが、静まり返った家の中に響き渡って、まるで死刑執行の宣告のようでした。必死に部屋に駆け込み、ドアに鍵をかけました。背後から聞こえる、義父がドアを叩く音。鈍い、重い音。 そして、卑猥な言葉を叫ぶ義父の声。あの夜、私は、嫁いびりの果てに、認知症が豹変した義父の恐ろしさを、身をもって体験したのです。 あれから、義父の奇行は止まりません。時折、あの般若のお面を被って、私を睨みつけてくるんです。あの夜の悪夢が、今も私の心を蝕んでいます。

義父の囁きが怖すぎる…夜中の足音

ねぇ、ちょっと聞いてくれる?うちの義父のことなんだけど、最近ちょっと変わってきちゃって、それがもう、なんか、すごく怖いのよ。私、嫁なんだけど、最初はね、まあ、年だし、ちょっと変わってるのかな、くらいに思ってたの。でも、最近それがエスカレートしてきて、もう、どうしたらいいのか分からない。 うちの義父のこと その義父、普段はね、寡黙で物静かな人なんだけど、時々、本当に時々、目が据わったかと思うと、私に向かって何かブツブツ言い始めるの。最初はね、聞き取れる言葉じゃなかったんだけど、最近になって、それがなんだか、私への嫌味だったり、あとは、私の知らない、昔のことみたいなことを話し始めたんだよね。で、その話し方がね、なんか、こう、底意地の悪い、ねっとりとした感じがするの。 台所で洗い物をしてたら 一番ゾッとしたのは、この間、台所で洗い物をしてたら、後ろからいきなり「お前は…」って囁かれたのよ。振り返ったら、義父がすぐそこに立ってて、その顔が、なんだか、こう、人間じゃないみたいな、虚ろな目をしてたの。そして、そのまま何も言わずに、ただじっと私を見てる。もう、背筋が凍ったよ。心臓がバクバクして、声も出なかった。 その後、義母に話してみたんだけど、「あら、お父さん、最近ちょっと調子が悪いのよ。ごめんね」って、全然真剣に聞いてくれなくて。でも、私には分かる。あれは、ただの体調不良とか、認知症とか、そういうレベルの話じゃない。もっと、もっと、根源的な、底知れない何かが、義父を、こう、蝕んでいってるんだって。 夜中にね、ふと目が覚めると 夜中にね、ふと目が覚めると、廊下を歩く義父の足音が聞こえることがあるんだけど。それが、なんというか、いつもと違う、ゆっくりとした、重い足音でね。まるで、何かを探してるみたいに、部屋の前を何度も何度も行き来してるみたい。 窓の外から、その気配を感じると、もう、息を潜めて、朝が来るのをひたすら待つしかない。一体、義父は何を求めて、夜中に徘徊してるんだろう。そして、あの虚ろな目は、一体何を見ているんだろう。考えると、もう、夜も眠れなくなってしまうの。この家で、一人、義父の不気味な気配を感じながら、日々を過ごすのが、本当に、怖いのよね。

認知症かもしれない…母の異変に家族が気づいた日

ねぇ、ちょっと聞いてくれる?うちの母のことなんだけどさ。最近、様子がおかしくて。 認知症の気配?なんて言ったら怒られるかもしれないけど、時々、今日が何日かも分からなくなったり、数分前に話したことも忘れちゃうの。それに、昔から神経質だったんだけど、最近それがエスカレートしてるみたいで。 認知症の気配? 一番困るのは、私に対して妙に執着すること。「あんたは私の子なんだから」「私から離れていかないで」って、事あるごとに言うのよ。もちろん、親孝行したい気持ちはあるし、できるだけそばにいたいと思ってる。でも、私も仕事してるし、自分の家庭だってあるから、四六時中ってわけにはいかないじゃない。 あんたは私の子なんだから この前なんか、私がちょっと出かけて帰ってきたら、玄関で泣いてたの。「あなたが私を捨てて出て行った」って。2時間くらいしか家を空けてなかったのに。そんなこと言われたら、こっちもどうしていいか分からなくなっちゃって…。 でも、一番怖かったのは、私にだけ見せる顔。普段は穏やかなんだけど、時々、目がギラっと光ったように見えることがあるの。まるで、何かに憑りつかれてるみたいに。「あなたさえいなければ」なんて、冗談めかして言うこともあるんだけど、その時の表情が、本気で言ってるんじゃないかって思えるくらい恐いのよ。 この前なんて、夜中に目が覚めたら、母が私の寝室のドアの前に立ってたの。明かりもつけずに、ただそこに立ってるだけ。息を潜めてやり過ごしたけど、心臓がバクバクして眠れなかった。一体、母に何が起こってるんだろう。 誰かに相談したいけど このままじゃ、私、精神的におかしくなっちゃいそう。誰かに相談したいけど、こんなこと言ったら、母がもっと悪くなるんじゃないかって、それも怖いし…。 この家が、なんだかだんだん暗い、重い空気に包まれていくみたいで、息苦しいわ。いつか、この恐怖から逃れられる日が来るのかしら。

義父の不思議な行動に振り回される嫁の介護生活

あら、ちょっと皆さん、聞いていただけます? うちの義父のことなんですけどね。もうね、最近どうも様子がおかしくて。普段はね、結構さっぱりした人で、滅多に口出しなんてしないのに、やたらと私に構ってくるんですよ。 義父のことなんですけどね なんかね、こう…じーっと見つめてきたり、私が出かけると「どこ行くんだ?」って、まるで探るような口調で聞いてきたり。別に怪しい関係とかそういうんじゃないんです、念のため言っておきますけど。ただ、その視線がね、なんだかこう…背筋がゾクゾクするような怖さがあって。初めは年のせいかな、とか、寂しいのかな、なんて思ってたんですけど、だんだんエスカレートしてきてるんです。 この間なんて、私が料理してる時に、後ろからそっと近づいてきて、肩に手を置こうとしたんですよ。びっくりして振り向いたら、義父の顔がすぐそこに!しかも、なんだか目が血走ってるような、普段と全然違う顔で。「うわっ、びっくりしたじゃないですか、お父さん」って言ったら、ハッとした顔をして、すぐ手を引っ込めたんですけど、その顔が忘れられないんです。 ドアの隙間から覗かれてる それからというもの、家の中にいても気が休まらないんですよ。ドアの隙間から覗かれてるんじゃないかとか、夜中に物音がしないかとか。義母はね、全然気づいてないみたいなんですけど、私だけがこの異様な空気に包まれてる気がして。 だって、昨日なんて、私が寝静まった頃に、私の部屋のドアの前で何かゴソゴソやってる音が聞こえたんです。怖くて、息を潜めてじっとしてたんですけど、しばらくしたらその音は消えました。でも、朝、ドアノブを見たら、なんだかベタベタするんですよ…誰かが触った跡みたいに。 これって、一体どういうことなんでしょうね。まさか、私に何か企んでるとか…?そんなわけないって頭では分かってるんですけど、あの義父の目が、あの血走った目が、どうしても離れないんです。このままじゃ、私、ノイローゼになっちゃいそう。誰か、こんな経験したことある人いませんか?どうしたらいいんでしょうか、これ…。

この介護施設は、築年数も古いせいか、どこかひんやりとした空気が漂っていてる

夜勤のシフトって、本当にいろんなことが起こるものなのよね。この施設は、築年数も古いせいか、どこかひんやりとした空気が漂っていて、一人だと時々ゾッとするのよ。 一人だと時々ゾッとするのよ。 あの夜も、いつもと同じように静かな夜だった。消灯時間を過ぎ、廊下にはぼんやりとした非常灯の明かりだけ。私は、一番奥の部屋の様子を見に行こうと、カートを押して歩いていた。その部屋は、いつも他の入居者さんとは少し違う、静かすぎるくらい静かな方のお部屋だった。 ドアの前に着いて、そっとノックしようとした、その時。部屋の中から、かすかな、でも確かに、誰かがすすり泣くような声が聞こえた気がしたんです。最初は気のせいかと思った。疲れているのかな、なんて。でも、その声はだんだん大きくなっていくような気がして、私の背筋に冷たいものが走った。 「どなたか…いらっしゃいますか?」 震える声でそう問いかけても、返事はない。ただ、すすり泣く声だけが、ドアの向こうから響いてくる。その声は、まるで私を呼んでいるかのようにも聞こえた。 カートを押して歩いていた。 勇気を出して、ドアノブに手をかけた。ゆっくりとドアを開ける。部屋の中は、真っ暗。カーテンは閉め切られていて、非常灯の明かりさえ届かない。でも、その暗闇の奥から、さっきのすすり泣きが、よりはっきりと聞こえてくる。 「あの…大丈夫ですか?」 もう一度声をかける。すると、暗闇の奥の、ベッドの方から、ゆっくりと何かが動いたような気がした。そして、そのすすり泣きが、ピタリと止まった。 静寂。張り詰めた、恐ろしいほどの静寂。 私は、息を潜めて、暗闇を見つめた。一体、何がいるんだろう。誰かいるんだろうか。その時、暗闇の底から、ゆっくりと、私に向かって、何かが這ってくるような、かすかな音が聞こえてきた。それは、まるで、濡れた布が床を這うような、湿った、ねっとりとした音だった。 背筋が凍る。全身に鳥肌が立った。もう、一刻も早く、この場から逃げ出したかった。でも、足は鉛のように重くて、動かせない。 そして、暗闇の奥から、ぼんやりと、人間の形のようなものが、ゆっくりと姿を現した。それは、まるで、水分を失った干からびたもののように見えたけど、その目は、暗闇の中でも、ギラリと光っているように見えた。 その「何か」は、ゆっくりと、私の方に近づいてくる。すすり泣きの声は、もう聞こえ...

ある日、突然、母から電話がかかってきたんです。

ある日、突然、母から電話がかかってきたんです。いつもなら、もっと穏やかな声なのに、その日はまるで何かに怯えているようでした。「あなた、すぐ来てくれない?一人じゃ、もう無理なの」そう言われて、私はいてもたってもいられなくなり、仕事を早退して母の家へ向かいました。母は一人暮らしで、最近、足が悪くなってから、少しずつ私に頼るようになっていたのです。まさか、こんなに早く、こんな事態になるとは思ってもいませんでした。 母から電話がかかってきたんです。 母の家に着くと、玄関のドアが少しだけ開いていました。中からは、かすかに、でも明らかに、何かを引きずるような音が聞こえています。心臓がドキドキして、声も出せません。恐る恐るドアを開けると、リビングの明かりは消えていて、部屋の隅に母がうずくまっていました。「お母さん!」と声をかけると、母はゆっくりと顔を上げましたが、その目は虚ろで、焦点が合っていません。そして、母の口から出た言葉は、予想だにしないものでした。「あの子が…また来たの…」 「あの子」?誰のことだろう。母は最近、認知症の気配もなかったし、幻覚を見るような状態でもありませんでした。私は母のそばに駆け寄り、肩を抱き寄せました。「大丈夫だよ、私が来たから」そう言い聞かせながら、部屋を見回すと、床に奇妙な跡があることに気づきました。それは、まるで濡れた布きれを引きずったような、黒っぽい筋でした。それが、あの引きずる音の正体か…? 母は震えながら、さらに囁きました。「夜中になると、あの音が聞こえるの。そして、部屋の隅に、黒い影が…」その声は、恐怖でかすれていました。私も、だんだんと背筋が凍るような感覚に襲われてきました。母の訴えが、単なる思い過ごしではないような気がしてきたのです。この家で、一体何が起きているんだろう。暗闇の中に、見えない何かが潜んでいるような、そんな嫌な予感が、私の全身を駆け巡りました。夜が更けるにつれて、その気配はさらに色濃くなっていきました。

家にはね、ほとんど使わない固定電話があるんです。

うちにはね、固定電話があるんです。でも、ほとんど使わない。というか、ほとんど鳴らない。だから、いつも留守番電話にしているんです。 それが、普通だと思っていた。だって、携帯電話がある時代じゃないですか。でも、あの夜から、それが普通じゃなくなりました。 固定電話があるんです。 その夜、日付が変わる少し前だったかな。突然、電話が鳴ったんです。こんな時間に誰だろうって、ちょっと不審に思いながらも、留守番電話のランプが点灯しているのを確認して、そのままにしておいたんです。 どうせ、セールスの電話か、間違った番号にかけた人なんだろうって。でも、ランプは消えない。ずっと点灯したまま。気になって、気になって、寝付けない。 重い腰を上げて、電話機に近づいてみたんです。留守番電話の再生ボタンに指をかけようとした、その時。電話が、勝手に鳴り出したんです。 ブルルル、ブルルル。あの、留守番電話のランプが点灯しているにも関わらず、ですよ。もう、何が何だかわからなかった。恐る恐る、受話器を取ってみたんです。 シーン…。何も聞こえない。ただ、静寂だけが耳に響く。でも、電話の向こうには、誰かがいるような、そんな気配がするんです。息遣いのような、かすかな音。 もしかしたら、本当に誰かが、何かを伝えようとしているのかも。そう思った瞬間、受話器の向こうから、あの、留守番電話の再生ボタンを押したような、カチッ、という音が聞こえたんです。 そして、電話が切れた。でも、留守番電話のランプは、やっぱり点灯したまま。一体、何だったんだろう。誰かが、私の留守番電話に、何かメッセージを残そうとしていたのか。それとも、電話自体が、私に何かを伝えようとしていたのか。 それ以来、あの電話が鳴るたびに、心臓が跳ね上がるようになった。留守番電話のランプが点灯しているのに、電話が鳴る。そして、受話器を取ると、何も聞こえない。でも、あの、かすかな息遣いと、カチッという音。あれは、一体何だったんでしょう。 今でも、あの電話が鳴るたびに、あの夜のことが蘇ります。あの、留守番電話のランプが点灯しているのに、鳴り響く電話の音。そして、受話器の向こうにいる、見えない、誰か。

缶コーヒーがスチール缶なのはなぜか?

ねえ、みんな!缶コーヒーって、いつもスチール缶に入ってると思わない?なんでだろうって、ふと思ったことない?今日は、その「なぜ?」に、楽しく、そして分かりやすく答えていこうと思うんだ! まずね、スチール缶が選ばれる一番の理由、それは「丈夫さ」なんだ!缶コーヒーって、お店に並ぶまで、運ばれたり、棚に置かれたり、結構ハードな旅をするんだよ。そんな時、スチール缶なら、へこんだり、中身が漏れたりする心配が少ないんだ。まさに、タフガイって感じだよね! それにね、スチール缶は「遮光性」もバッチリなんだ。コーヒーって、光に当たると風味が落ちちゃうことがあるんだって。でも、スチール缶は光を完全にブロックしてくれるから、いつだって新鮮な美味しさを保てるんだよ。だから、あの美味しいコーヒーを最後まで楽しめるってわけ! あとね、意外と知られていないのが「リサイクルのしやすさ」!スチール缶って、実はリサイクル率がすごく高い素材なんだ。一度使われた缶も、また新しい缶に生まれ変わったり、他の製品に使われたりする。地球にも優しいって、とっても素敵じゃない? もちろん、アルミ缶だって軽くていいところはいっぱいあるんだけど、熱や光からコーヒーを守るっていう点では、スチール缶に軍配が上がるんだ。だから、たくさんの缶コーヒーがスチール缶で私たちのもとに届いてるんだね。 どう?これで、缶コーヒーがスチール缶な理由、スッキリしたかな?これからは、缶コーヒーを飲むたびに、このタフで賢い缶のことを思い出してみてね! ちなみに、スチール缶っていうのは、鉄にクロムメッキや錫メッキを施したもののことだよ。だから、錆びにくいんだ。コーヒーの風味をしっかり守ってくれる、まさに縁の下の力持ちなんだよね! これからも、身近なモノの「なぜ?」を探求していくから、楽しみにしててね!じゃあ、またねー!

『52歳、不採用通知のおかげでバズった俺の夜更かし晩酌』

「お祈りメール」を受信するのは、これで47通目だ。 暗い部屋の中、スマートフォンの画面に反射する52歳の自分の顔は、ひどく老け込んで見えた。 「お祈りメール」 「……また、ダメだったか」 深いため息とともに、発泡酒の缶を開ける。プシュッという乾いた音が、静まり返った1Kの部屋に響く。再就職の壁は、想像を絶するほど高く、冷たかった。長年勤めた会社を理不尽な理由で追われ、面接官から向けられるのは「扱いにくそうなおじさん」を見る冷ややかな目ばかり。 ふと、卓上に置かれたスマホのカメラレンズと目が合った。 「どうせ、世間の誰も俺なんて見てないんだ。愚痴のひとつでも吐き出さないと、狂っちまう」 自暴自棄になりながら録画ボタンを押し、カメラに向かって語り始めた。特別な照明もない。凝ったテロップやBGMもない。あるのは、くたびれた中年男と、コンビニで買った100円の缶詰、そしてぬるくなった発泡酒だけ。 「同世代の皆さん、今日もお疲れ様です。52歳、現在無職です。今日も見事に落とされました」 自嘲気味に笑いながら、缶詰の焼き鳥をガスコンロで直接炙る。焦げた醤油の匂いが漂う中、ぽつりぽつりと語った。会社での理不尽、家族への申し訳なさ、積み上げてきたものが一瞬で無価値になった喪失感。そして、それでも明日を生きていかなければならない泥臭い現実。 気の利いたオチなんてない。ただ、胸の奥底にある言葉にならない重たい泥を、そのまま吐き出しただけだった。編集もせず、動画サイトの片隅にそれを投げ入れた。 翌朝。目を覚ますと、スマホの通知が異常なことになっていた。 アップロードした動画の再生数は一晩で数万回を超え、コメント欄は見たこともない言葉で溢れかえっていたのだ。 『同い年です。痛いほど分かって涙が出ました。今日からまた頑張れそうです』 『若輩者ですが、おじさんの語る言葉に人生の深さと強さを感じました』 『焦げた焼き鳥、めっちゃ美味そう。今夜は僕も同じ発泡酒にします』 画面を見つめながら、乾ききっていたはずの目頭が熱くなるのを感じた。 「そうか……飾る必要なんて、なかったんだ」 プラットフォームが求めている「新たな価値」。それは、若者のような過激な企画や、計算し尽くされたエンターテインメントだけではなかった。 失敗も、挫折も、皺の刻まれた顔も。嘘偽りのない「大人のリアルな生き様」そのものが、誰か...

【いとしのあの娘とヨ】舟唄が聞こえる港町で、十年ぶりに恋人と再会した夜【朝寝するダンチョネ】

港町に秋の雨が降っていた。 「今日はもう店じまいだよ」 女将の声にうなずきながら、俺はいつもの席に腰を下ろした。漁を終えた船の灯りが、窓の向こうで揺れている。 十年前、この港でひとりの女性と出会った。 明るくて、よく笑う人だった。 「いつか大きな町へ行ってみたいな」 そう言っていた彼女は、本当に町を出て行った。そして俺は引き留めることができなかった。 湯気の立つ酒を口に運ぶ。 「あの時、違う言葉を選んでいたらな」 誰に聞かせるでもない独り言が漏れた。 店の隅では古いラジオが流れている。時計を見ると、もうすぐ日付が変わる時間だった。 その時、入り口の戸が開いた。 「こんばんは」 聞き覚えのある声に顔を上げる。 そこに立っていたのは、十年ぶりの彼女だった。 「久しぶりね」 俺は驚きすぎて言葉が出ない。 彼女は笑った。 昔と同じ、少し照れたような笑顔だった。 「帰ってきたの。少しだけ、この町を見たくなって」 窓の外では、船の汽笛が夜の海に響く。 俺たちは昔話をした。離れていた時間を埋めるように、ゆっくりと。 やがて店を出る頃には、雨は止んでいた。 雨は止んでいた。 港の風は冷たかったが、不思議と心は温かい。 失ったと思っていた時間は戻らない。 それでも、人はもう一度出会うことがある。 並んで歩く彼女の横顔を見ながら、俺はそう思った。 静かな港町の夜は、まだ終わりそうになかった。

再婚中年夫婦の心の葛藤 「ふたたびの春、ふたたびの雨」

冷蔵庫のドアを開けたまま、恵子はしばらく動けなかった。 野菜室に、ピーマンが三つ並んでいた。しかも、ちゃんとへたの向きを揃えて。 ——誰がこんなことを? 再婚中年夫婦の心の葛藤 答えはわかっている。再婚して半年になる夫の達雄だ。口数が少なく、感情を表に出さない男。恵子の前の夫は、台所に足を踏み入れたことすらなかった。 「……気持ち悪い」 小声で言ってから、恵子は自分の言葉に傷ついた。違う、そういう意味じゃない。ただ、慣れていないのだ——誰かに、さりげなく気にかけてもらうことに。 四十八歳で再び人と暮らすということは、思っていたより難しかった。相手を傷つけるのが怖いのではなく、相手に優しくされると、昔の自分がうずくのが怖い。ありがとうの一言が、喉の奥で石になる。 リビングに行くと、達雄がソファで文庫本を読んでいた。 「ピーマン……並べてくれたの?」 達雄は本から目を離さずに言った。「倒れてたから」 それだけだった。説明もしない。恩着せがましくもない。 恵子は窓の外を見た。雨が降り始めていた。四月の雨は花びらを散らしながら、それでも新しい葉を濡らしていく。 「……夕飯、ピーマンの肉詰めにする」 ようやくそれだけ言えた。達雄は「ああ」と短く答えた。でもその口元が、少し緩んだのを、恵子は見逃さなかった。 これでいい、と思った。大きな愛の言葉よりも、ピーマンを並べる手のほうが、今の自分には届く。もう一度だけ、誰かと春を生きてみてもいいかもしれない——と、石だった何かが、静かに溶けていった。

「おそば屋ケンちゃんですが倒産しそうです」

厨房に立ちこめる、鰹節と醤油が混ざり合った甘辛い匂い。使い込まれて縁が凹んだ巨大なアルミの茹で麺釜が、ゴボゴボと鈍い音を立てて熱湯をたぎらせている。 俺の名前はケンイチ。 俺の名前はケンイチ。今年でとうとう還暦を迎えた。 かつて、スーパーカブの荷台に岡持ちを何段も重ねて町中を走り回り、すれ違う人たちから「おそば屋のケンちゃん」と親しまれていた男だ。 スーパーカブの荷台に岡持ち 昭和の終わり、この町には活気が溢れていた。 大晦日ともなれば家族総出で徹夜で蕎麦を打ち、昼時には近所の町工場や商店からひっきりなしに出前の電話が鳴った。「ケンちゃん、寒いのにご苦労さん!」と、得意先の親父さんから手渡される温かい缶コーヒーが、あの頃の俺の誇りだった。 だが、時代は静かに、そして確実にこの町を変えてしまった。 お得意様だった町工場は次々と取り壊されて駐車場やマンションに変わり、昼休みのサラリーマンたちは、駅前にできたワンコインの立ち食いチェーンや、コンビニの安くて手軽な麺類へと流れていった。 そこへ追い打ちをかけるような、そば粉と良質な鰹節の容赦ない価格高騰。親父の代から頑なに守り続けてきた「二八蕎麦」と「一番出汁」のこだわりは、効率と価格重視の現代において、ただの時代遅れな自己満足になってしまったようだ。 今朝、長年の付き合いがある製粉所の主人から、「ケンちゃん、先月分の支払い、そろそろ頼むよ」と、力無い声で電話があった。 帳簿を開くまでもない。通帳の残高はとうに底を突いている。これ以上、借金を重ねて店を延命させるのは無理だ。 倒産。 親父が汗水垂らして守り抜いた「そば処 ケン」の暖簾を、俺の代で下ろす時が来た。 「親父、すまねえ。俺の力不足だ」 誰もいない厨房で、湯気越しに見上げる天井は、長年の出汁の匂いと油で茶色く変色している。その染みの一つ一つに、この店の歴史が刻まれている気がした。 俺は太い麺棒を握りしめ、静かに息を吐いた。 店を畳む日は決まった。だが、まだ俺は包丁を置くわけにはいかない。 シャッターに「閉店のお知らせ」の貼り紙をするその日まで、俺はここの主だ。たとえ今日一日の客がゼロだったとしても、極上の出汁を引き、最高の蕎麦を打つ。それが、昭和という時代に育ててもらった職人の、最後の意地だった。 トントン、トントン。 小気味良い蕎麦切りの音が、静まり返った店内に響き...

「おもちゃ屋ケンちゃんですが倒産しそうです」

色褪せた特撮ヒーローのソフビ人形が、西日を浴びてショーウィンドウに長い影を落としている。 入り口のガラス戸に貼られた「ミニ四駆コースあります」の手書きポップは、もう何年も前からセロハンテープが茶色く変色したままだ。 おもちゃ屋ケンちゃん 俺の名前はケンイチ。今年で59歳になる。 かつて、このアーケード街が子どもたちの歓声で揺れていた昭和の終わり。学校が終わるや否や、ランドセルを放り投げた小僧たちが小銭を握りしめて駆け込んでくるこの店で、俺は「おもちゃ屋のケンちゃん」として彼らのガキ大将であり、夢の案内人だった。 天井近くの棚に鎮座する重たい合金ロボットや、大きくて手が出ないラジコンカー。あの頃、町のおもちゃ屋は子どもたちにとって、間違いなく光り輝く宝の山だったのだ。 だが、時代は静かに、そして残酷に変わった。 子どもたちの遊び場は路地裏や空き地から、薄いタブレットの液晶画面の中へと移り変わった。欲しがるものはデジタルデータになり、物理的なおもちゃを買うにしても、親は郊外の巨大な家電量販店か、ネット通販の「カートに入れる」ボタンひとつで済ませてしまう。 町の小さなおもちゃ屋が定価で商品を並べ、子どもたちの小遣いを待つ商売など、とうの昔に成り立たなくなっていた。 今朝、長年付き合いのあった地元の問屋から、ついに取引の停止を告げられた。 「ケンさん、うちももう限界なんだ。申し訳ない」 電話越しの沈痛な声に、俺はただ「今までありがとうな」と返すことしかできなかった。来月の店舗の家賃も、業者への支払いも、もうどこを叩いても出てこない。 倒産だ。 親父から継いだこの「おもちゃのケン」のシャッターを、ついに俺の手で下ろす時が来た。 薄暗い店内で、日焼けして色が抜けたプラモデルの箱をそっと撫でる。 子どもたちに夢を売るのが仕事だった。けれど、俺自身が時代の波に飲まれ、ここで夢を見続けることができなくなってしまった。 「親父、ごめんな。子どもたちの笑顔、俺の代で終わっちまったよ」 誰もいない店内で呟いた言葉は、棚に並ぶブリキの車に吸い込まれるように消えた。 それでも、俺はレジ裏に置いてあった毛ばたきを手に取り、一つひとつの箱に積もった埃を丁寧に払い始めた。 あと半月。不渡りを出して完全にシャッターを下ろすその日まで、ここは夢を売る場所でなければならない。外箱が煤けていようと、中身の魔...

「ケーキ屋ケンちゃんですが倒産しそうです」

ショーケースの奥で、旧式の冷却ファンが寿命を告げるような重低音を響かせている。 色褪せたピンク色のテント看板には、丸みを帯びたポップな書体で「洋菓子の店 ケン」と書かれている。 俺の名前はケンイチ。今年で58歳になる。 かつて、この商店街が甘いバニラエッセンスの香りに包まれていた昭和の終わり。子供たちはガラスケースに顔を押し付け、目を輝かせて俺を「ケーキ屋のケンちゃん」と呼んだ。 ケーキ屋のケンちゃん 並んでいるのは、真っ赤なドレンチェリーが乗ったタヌキのケーキに、鮮やかな黄色のモンブラン。そして、銀色のパラフィン紙に包まれた素朴なイチゴのショートケーキ。 親父の代からレシピを変えていない、いわゆる「昭和のケーキ」だ。 だが、時代は残酷なまでに甘くない。 小麦粉やバター、卵の容赦ない価格高騰。駅ビルには宝石のようなムースやタルトを並べる有名パティスリーが入り、日々の甘いものはコンビニの高品質なスイーツで事足りる令和の現在。 時代遅れのバタークリームや、洗練されていない甘さのケーキは、もはやノスタルジーの対象にすらならなかった。 今月末の支払いのメドは、もう立っていない。 業者への未払いが限界を超え、今朝ついに生クリームの納品が止まった。 「ケンちゃん、無理はしなさんな」 半ばシャッター通りとなった商店街の寄り合いで、古くからの仲間に掛けられた言葉が、引導を渡されたようで胸に深く刺さった。 倒産だ。 クリスマスイブには、店の外まで何十メートルも行列ができたあの熱狂。 バタークリームの大きなデコレーションケーキの箱を抱え、父親たちが誇らしげに家路についたあの風景。 高度経済成長期の熱を帯びた「家族の幸せの象徴」は、俺の代でひっそりと息を引き取ろうとしている。 「親父、ごめんな」 誰もいない厨房で、使い込まれて黒ずんだ木の作業台を撫でる。 泡立て器を握る右手には、長年の仕事でできた分厚いタコがある。この手で、数え切れないほどの誕生日のロウソクを立て、祝いの言葉をチョコペンで書き続けてきた。その記憶だけは、決して嘘じゃない。 ボウルに残ったわずかな材料をかき集め、静かにホイッパーを動かし始める。 シャカ、シャカ、という規則正しい音だけが、薄暗い厨房に響く。 もう、誰かに売るためのケーキじゃないかもしれない。 だが、ショーケースを空のまま終わらせる気にはなれなかった。最後の日...

「すし屋のケンちゃんですが倒産しそうです」

「いらっしゃい」 声は、ガラガラと鳴る重い引き戸の音に吸い込まれて消えた。 長年の水拭きで角が丸くなった白木のカウンター。壁には、すっかり色褪せた「昭和五十四年」の千社札が貼られたままだ。 俺の名前はケンイチ。御年57歳。 かつてこの商店街が、肩をぶつけないと歩けないほど人で溢れかえっていた時代、ご近所の大人たちから「すし屋のケンちゃん」と呼ばれ、もてはやされていた男だ。 「すし屋のケンちゃん」 親父が倒れ、俺が二代目として板場に立つようになってから三十年。 気がつけば、時代は平成を通り越し、令和の世になっていた。 店の外では、かつての八百屋や肉屋が次々とシャッターを下ろし、今では無機質なマンションと駐車場が立ち並ぶ。家族経営の温かいホームドラマなんてものは、とっくにテレビの中だけのファンタジーになっていた。 帳簿を開くまでもない。今月の赤字も悲惨なものだ。 「ケンちゃん、立派に跡を継いだね」と笑ってくれていた常連客たちは、もうごっそりとこの世にいない。若者は駅前の明るくて安いチェーン店へ吸い込まれていく。 先週、とうとう付き合いの長い信金から融資の打ち切りをやんわりと告げられた。「立地はいいんですから、店を畳んで土地を売りませんか」と。 ついに来るべき時が来た。倒産である。 親父が遺したこの店を、俺の代で終わらせる。 その事実が、鉛のように腹の底にのしかかる。子供の頃、店を手伝うと親父が握ってくれた玉子焼きの甘い匂いを思い出し、俺は自嘲気味に笑った。 「ごめんな、親父。ドラマみたいに、近所の人が助けてくれる奇跡は起きないみたいだ」 綺麗に研がれた柳刃包丁を見つめる。 昭和という活気ある時代が生み出した熱狂は、静かに冷え切ってしまった。あの底抜けに明るかったご近所付き合いも、今はもう無い。けれど、この包丁に染み付いた職人としての意地だけは、どうやっても捨てきれなかった。 「……あと一ヶ月」 ぽつりと呟いた。 月末の不渡りが確定するその日まで、暖簾は出し続ける。 最後の日まで、俺は「すし屋のケンちゃん」として、誰が来るかもわからないこの店で、最高のシャリを炊き続ける。 ガラッ。 突然、引き戸が開いた。西陽を背にして立っていたのは、見慣れぬスーツ姿の若い男だった。 「あの……やってますか?」 俺は顔を上げ、かつて親父がそうしていたように、少しだけ口角を上げてみせた。 「...

【昭和の記憶】昭和の流行語——あの頃の言葉が時代を映していたはなし

「そうだ、そうだ、その通りだ」「ナウい」「めちゃくちゃでございます」 口にした瞬間、あの頃の教室や茶の間の風景が浮かんでくる。流行語とは、時代が残した言葉の化石です。 昭和30年代、高度経済成長の真っただ中に生まれたのが「モーレツ」という言葉です。猛烈に働き、猛烈に稼ぎ、猛烈に前へ進む。企業戦士たちの生き方をそのまま言葉にしたような一言で、当時のサラリーマンたちは誇りを持って「モーレツ社員」と呼ばれていました。 昭和40年代になると、テレビのお笑いから流行語が生まれるようになります。 谷啓の「ガチョーン」、植木等の「お呼びでない、こりゃまた失礼いたしました」、由利徹の「おしゃまんべ」。 翌朝の学校で友達と真似し合うのが、子どもたちの楽しみでした。 昭和50年代には若者言葉が加速します。 「ナウい」「チョベリバ」「ブリっ子」 今聞くと少し恥ずかしいような言葉が、当時は最先端でした。 「なんでそんなにブリっ子するの」と言い合っていた女の子たちが、今や立派なおばあちゃんになっている。言葉の寿命は、人の寿命より短い。 流行語は消えても、その言葉を口にしていた時代の空気は消えません。 「がんばります」ではなく「モーレツにやります」と言っていたあの頃の日本人の顔が、言葉の向こうに見えてくる気がします。 あなたが一番懐かしい昭和の流行語は何ですか。ぜひコメントで教えてください。 次回の【昭和の記憶】シリーズは、「昭和の冬-火鉢・湯たんぽ・こたつから出られなかった時代のはなし」をお届けします。チャンネル登録をして、次の動画をお待ちください。

【昭和の記憶】ちゃぶ台の逆襲

あの頃の夕暮れは、どこか橙色をしていた。   路地の向こうから夕餉の匂いが流れてくる。 味噌汁の湯気、焼き魚の煙、そして遠くのテレビから漏れてくる歌謡曲。 昭和五十年代の食卓には、そういう匂いと音が、いつもそっと寄り添っていた。   我が家のちゃぶ台も、例外ではなかった。 ただ??少しだけ、いや、かなり、よその家とは違っていたかもしれない。     【昭和の記憶】 父のタロウは、不思議な人だった。   背が低く、目が大きく、いつも腹巻きをして、何かにつけて大声を出した。 怒っているのか喜んでいるのか、よくわからないまま、彼はいつも言った。   「これでいいのだ!」   その一言が、我が家では万能の呪文だった。 説明の代わりに。謝罪の代わりに。そして時に、夕食の代わりにすらなった。     ある夜のことだ。   焼き魚が食卓に並んだ。頭のついたままの、立派なアジの干物だった。 七歳の娘、ナナコが、その目をじっと見つめながら言った。   「……目がこっちみてる。こわい」   父は胸を張って答えた。   「魚は目ん玉から食べるのが礼儀なのだ。目を食べることで魚に『見てたよ』と伝えるのだ」   娘は少し考えてから、また聞いた。   「なんで魚に『見てたよ』って言わなきゃいけないの?」   父は一瞬だけ黙り、それからいつものように言った。   「これでいいのだ!」   理由は、最後まで語られなかった。     そこへ、隣のカメジさんが現れた。   チャイムも鳴らさず、戸を開けて、土間に立って言った。   「よォ! いい匂いすんなあ! おれも食うわ!」   そのまま座った。当然のように。 ナナコが首をかしげた。   「……呼んでないよ?」   カメジさんは笑って言った。   「昭和の男は呼ばれなくても来るもんだ。招待状とか、昭和にはなかったんだよ」   父も笑った。むしろ嬉しそうに。   「これでいいのだ!」   娘は静かにお茶をすすり、つぶやいた。   「大人ってへんだねー」 ...

【昭和の記憶】昭和の商店街——八百屋・魚屋・電気屋が並んでいた時代のはなし

アーケードの屋根の下に、威勢のいい声が響いていました。 「いらっしゃい、いらっしゃい、今日のトマトは甘いよ」 魚屋からは氷と磯の匂いが漂ってきて、肉屋のショーケースにはコロッケが並んでいる。 昭和の商店街は、五感で感じる場所でした。 昭和の商店街 今、買い物はスーパーマーケットかネットショッピングが中心です。 必要なものを効率よく手に入れて、さっさと帰る。 店員と言葉を交わすことも、ほとんどありません。 昭和の商店街は、まったく別の場所でした。 商店街とは、個人商店がアーケードの下に軒を連ねた買い物の場所です。 八百屋、魚屋、肉屋、豆腐屋、米屋、乾物屋、電気屋、洋品店、床屋、薬屋——それぞれの専門店が並んで、地域の人々の日常を支えていました。 買い物をするとは、商店街を歩くことでした。 今日の夕食の献立を考えながら、八百屋で野菜を見て、魚屋で今日の目玉を聞いて、肉屋でおまけを交渉する。 一軒一軒を回ることが、そのまま地域の人との交流になっていた。 商店街の全盛期は昭和40年代から50年代にかけてのことです。 その後、大型スーパーの郊外出店、コンビニエンスストアの普及、そしてネットショッピングの台頭によって、昭和の商店街は急速に姿を変えていきました。 シャッターが閉まったままの店が増え、かつての賑わいは記憶の中へと消えていった。 今日はその昭和の商店街を、八百屋、魚屋、電気屋を中心に振り返っていきます。 昭和の商店街 昭和の商店街といえば、まず八百屋の声です。 「いらっしゃい、いらっしゃい」と威勢よく呼び込む声が、商店街のアーケードに響き渡る。 店先には旬の野菜と果物が所狭しと並んでいて、値段は手書きの紙に書かれてさしてある。 八百屋のおじさんは、顔なじみのお客さんには特別な対応をしてくれました。 「今日は特別においしいのが入ったから、これにしなよ」とこっそり耳打ちしてくれる。 「いつものでいい?」と聞かれて、常連であることの居心地よさを感じる。 値段の交渉も、昭和の八百屋では珍しくありませんでした。 「これ、もう少し安くならない?」と聞けば、「しょうがないなあ」と言いながらおまけをつけてくれるおじさんがいた。 値段が固定されていて交渉の余地がない今のスーパーとは、まるで違う買い物の文化です。 夕方になると、残り物の野菜を安くまとめ売りする時間がありました。 「夕方の...

【昭和の記憶】昭和の銭湯——番台・ケロリン桶・裸のつきあいが当たり前だった時代のはなし

夕暮れ時になると、番台の灯りがともります。 石鹸とシャンプーをタオルに包んで、下駄を鳴らしながら歩いていく。 暖簾をくぐると、温かい湯気と石鹸の匂いが出迎えてくれる。 昭和の一日の終わりは、銭湯で締めくくられていました。 昭和の銭湯 今、銭湯は「レジャー」として行くものになりました。 家にお風呂があるのが当たり前で、わざわざ銭湯に行くのは非日常の楽しみとして、あるいは温泉気分を味わいたいときに行くもの、という位置づけです。 昭和の銭湯は、まったく違う意味を持っていました。 昭和30年代まで、日本の一般家庭の多くに内風呂がありませんでした。 風呂なしアパート、風呂なし長屋——それが当時の庶民の住まいの標準的な姿です。 つまり銭湯は、体を清潔に保つための、生活に欠かせないインフラでした。 毎日のように銭湯へ通い、そこで近所の人と顔を合わせ、湯船に並んで浸かり、世間話をする。 銭湯は体を洗う場所であると同時に、地域のコミュニティが形成される場所でもありました。 全国の銭湯の数は、昭和43年(1968年)にピークを迎え、約1万8000軒を数えたといわれています。 それが今では全国で2000軒を下回るほどになりました。 内風呂の普及とともに、銭湯は昭和の記憶の中へと消えていったのです。 昭和の銭湯に入ると、まず番台があります。 番台とは、銭湯の入口に設けられた高い台のことで、そこにおじさんやおばさんが座って入浴料を受け取り、脱衣所を管理していました。 番台の位置が高いのには理由があります。 男湯と女湯の両方を見渡せる場所に設けられていたからです。 番台に座るおじさんが、両方の脱衣所を一度に目が届く構造になっていました。 今の感覚では驚きますが、当時はそれが当たり前の銭湯の構造でした。 番台のおじさんはプロとして、余計なことには目を向けない。 そして常連客も、番台のおじさんには慣れたもので、気にする様子もなかった。 入浴料を払うとき、番台のおじさんやおばさんと一言二言言葉を交わす。 「今日は寒いですね」「湯加減はいいですよ」——その短い会話が、毎日の積み重ねで関係を作っていく。 番台の人は、常連客の顔と名前と家族構成を覚えていて、しばらく来ない常連がいると「どうしたんだろう」と気にかける。 昭和の銭湯の番台は、地域の見守りの役割も担っていたといえるかもしれません。 昭和の銭湯と...

【昭和の記憶】昭和の近所づきあい——お裾分け・回覧板・鍵のかからなかった時代のはなし

「ごめんくださーい」という声がして、玄関が開く音がしました。 鍵はかかっていません。 隣のおばさんが、皿に何かを載せて立っています。 「畑でたくさん採れたから、よかったら」 昭和の近所づきあいは、この一言から始まっていました。 昭和の近所づきあい 今、隣に誰が住んでいるか知らない、という人が都市部では珍しくありません。 引っ越してきても挨拶をしない、回覧板は存在すら知らない、隣の家から物音がしても気にしない。 それが悪いわけではありません。 プライバシーを守ることは、現代社会の大切な価値観のひとつです。 ただ、昭和の暮らしはまったく逆でした。 近所の人の名前はもちろん、家族構成も仕事も、だいたいの収入事情まで、なんとなく知っている。 隣の家で何かあれば、すぐにわかる。 子どもが熱を出せば近所のおばさんが手伝いに来て、ご主人が入院すればお隣が食事の心配をする。 プライバシーなど、ほぼなかったといっていい時代です。 それが息苦しいこともあったけれど、一人では生きていけないときに、必ず誰かが手を差し伸べてくれる安心感があった。 今日はその昭和の近所づきあいを、お裾分け、回覧板、鍵のかからなかった玄関という三つの切り口から振り返っていきます。 昭和の近所づきあいの象徴といえば、お裾分けです。 畑で野菜がたくさん採れた。 もらいものの果物が多すぎて食べきれない。 お菓子を作ったので少し持っていく。 そういうときに、近所の家を訪ねてお裾分けをする。 それが昭和の近所づきあいの、ごく自然な習慣でした。 お裾分けをもらった側は、翌日か翌々日に、空になった皿や容器を返しに行く。 そのときには必ず、何か別のものを載せて返すのが礼儀でした。 空のまま返すのは失礼、という暗黙のルールが、どこの地域にもありました。 お皿のやりとりが、近所の人との会話のきっかけになる。 「これ、うちの畑で採れたんですよ」「まあ、立派ですね」「よかったら上がっていきませんか」——そこから始まる立ち話が、三十分、一時間と続く。 子どもの頃、お母さんにお裾分けを届けるお使いを頼まれた記憶がある方も多いのではないでしょうか。 「お隣に持っていって」と言われて、皿を両手で持ちながら、こぼさないように慎重に歩いていく。 玄関のチャイムを押して、「お母さんから預かってきました」と言う。 隣のおばさんに頭を撫でられて、お駄賃...

【昭和の記憶】昭和の娯楽——紙芝居・貸本屋・街頭テレビが人々を集めた時代のはなし

どこからともなく、拍子木の音が聞こえてきました。 カンカンカン——その音が路地に響いた瞬間、子どもたちは一斉に表へ飛び出していきます。 「紙芝居屋のおじさんが来た」と、誰かが叫ぶ。 昭和の娯楽は、音とともにやってきました。 【昭和の記憶】 今、娯楽はすべて手のひらの中にあります。 スマートフォンを開けば、映画も音楽もゲームも漫画も、無限に手に入る。 一人で、自分の部屋で、好きな時間に好きなものを楽しむ。 昭和の娯楽は、まったく逆の方向を向いていました。 娯楽は外にあるものでした。 誰かのところへ行かなければ楽しめない、誰かと一緒でなければ始まらない。 紙芝居は紙芝居屋のおじさんが来なければ見られない。 街頭テレビは電器屋の前まで行かなければ見られない。 貸本屋に行かなければ漫画は読めない。 娯楽を手に入れるために、人は外へ出て、誰かのところへ集まった。 その「集まること」が、昭和の娯楽の本質だったのかもしれません。 今日はその昭和の娯楽の中から、紙芝居、貸本屋、街頭テレビの三つを中心に振り返ります。 いずれも昭和とともに姿を消したものばかりですが、あの頃の路地や街角の空気とともに、記憶している方も多いのではないでしょうか。 まず、紙芝居の話から始めましょう。 紙芝居屋のおじさんは、自転車の荷台に木製の舞台を載せてやってきました。 到着すると拍子木をカンカンと叩いて子どもたちを呼び集め、自転車の荷台に舞台をセットして、絵を差し替えながら物語を語っていく。 演目は勧善懲悪の時代劇や冒険もの、怪奇話などが多く、おじさんの語り口ひとつで子どもたちの表情がくるくると変わりました。 怖い場面では思わず後ずさりし、主人公が窮地に立たされると「頑張れ」と声が上がる。 紙芝居は一方的に見るものではなく、見ている子どもたちが声を上げ、笑い、怯えることで完成するものでした。 紙芝居屋のおじさんは商売人でもありました。 水飴、ソースせんべい、砂糖菓子——紙芝居の前に駄菓子を売るのが、おじさんの収入源です。 何か買った子どもは前の方に立てて、何も買わない子どもは後ろに下がらなければならない、という暗黙のルールがありました。 持ち合わせのない日は、後ろの方からつま先立ちで覗き込む。 それでもおじさんは追い払いはしない。 「来週までに続きを考えておけよ」と言い残して、自転車で去っていく。 紙芝居...

【顕微鏡】1966年のレコードの溝を拡大したら、昭和ポップスを食べる「謎の生命体」が蠢いていた。

針が落とされた瞬間、タケシは奇妙な違和感を覚えた。 スピーカーから流れてきたのは、1966年発売の昭和ポップスの名盤『東京ノスタルジア』。本来なら、当時の空気感をそのまま閉じ込めたような、温かみのあるアナログサウンドが部屋を満たすはずだった。しかし、初来日したビートルズに日本中が沸き立っていたあの時代の熱気を帯びたヴォーカルは、どこか痩せ細り、かすれたように歪んでいた。 レコードの振動を餌とする寄生生物 「おかしいな。昨日クリーニングしたばかりなのに」 タケシはオーディオマニアだった。特に1960年代のポップスレコードの収集には狂気的な情熱を注いでいる。彼はすぐに演奏を止め、ターンテーブルからレコード盤をそっと持ち上げた。 西日が差し込む書斎で、漆黒の塩化ビニール盤を光にかざす。その時、彼の目が盤面の一角に吸い寄せられた。 溝(グルーヴ)の一部が、まるで生き物のようにかすかに「脈打って」いたのだ。 タケシは冷や汗を覚えながら、デスクから電子顕微鏡を取り出し、PCの画面に接続した。レンズを問題の箇所に合わせ、倍率を上げていく。モニターに映し出された映像に、彼は息を呑んだ。 そこには、音溝に深く根を張る、半透明の奇妙な有機体が蠢いていた。 それはアメーバのようでもあり、細い菌糸の集まりのようでもあった。驚くべきことに、その有機体はレコードの溝に刻まれた細かな凹凸――つまり、1966年の録音テープから転写された「音の振動」そのものを物理的に貪り食っていた。音の強弱や微細なニュアンスが刻まれた溝の壁面が、その生物が通った後から、みるみるうちに削られ、ただの平坦で無機質なプラスチックの溝へと変貌していく。 「嘘だろ……。こいつ、昭和の音を食べているのか?」 信じられない光景だったが、目の前の現実は容赦なく進行していた。生物が脈打つたびに、画面の向こうで1960年代のきらびやかなスネアの残響や、甘いサックスのヴィブラートが、文字通り消滅していく。この生物は、単にプラスチックを分解しているのではない。そこに宿る「アナログの温かみ」という、特定の周波数の振動エネルギーを餌にしているのだ。 タケシがさらに観察を続けると、事態はより深刻であることが判明した。有機体が通った後の溝は、単に平らになるだけではなかった。過剰にエネルギーを吸収されたプラスチックは急速に劣化し、微細なガラスのよう...

【昭和の記憶】昭和の乗り物——蒸気機関車・ボンネットバス・オート三輪が走っていた時代のはなし

遠くから、低い汽笛の音が聞こえてきました。 次の瞬間、黒い煙をもうもうと吐きながら、巨大な鉄の塊が目の前を通り過ぎていく。 地面が揺れて、熱い風が顔に当たって、石炭の匂いが鼻をつく。 蒸気機関車を初めて見た日のことを、今でも覚えている方はいますか。 昭和という時代は、乗り物の変化という観点から見ると、驚くほどドラマチックな時代でした。 昭和の初めには、まだ馬車が都市部を走っていました。 路面電車が街の主役で、自動車はまだ珍しい存在だった。 それが昭和の終わりには、新幹線が全国に広がり、高速道路が整備され、飛行機が一般市民の乗り物になっていた。 わずか六十数年の間に、日本の乗り物は江戸時代の延長線上から、現代とほぼ変わらない姿へと劇的に変化したのです。 今日はその昭和の乗り物の中から、蒸気機関車、ボンネットバス、オート三輪の三つを中心に振り返っていきます。 いずれも今では博物館や観光地でしか見られないものばかりですが、昭和の子どもたちにとっては、ごく日常の風景の中にあった乗り物たちです。 懐かしい昭和の乗り物 まず、蒸気機関車の話から始めましょう。 蒸気機関車、通称SLが日本の鉄道の主役だったのは、昭和40年代半ばまでのことです。 1975年(昭和50年)に国鉄の定期運行が終了するまで、SLは日本中の線路を走り続けていました。 SLの何が人々を魅了したのか。 それは、機械でありながら、まるで生き物のように見えたからではないでしょうか。 石炭を燃やして水を沸かし、蒸気の力でピストンを動かして車輪を回す。 シュッシュッという息遣いのような音、ドラフト音と呼ばれる排気の響き、白い蒸気と黒い煙が混ざり合って空へ舞い上がる様子。 それは単なる交通手段ではなく、見る者を圧倒する存在感がありました。 当時の子どもたちにとって、SLは憧れの的でした。 駅のホームでSLが入ってくるのを待ち、通り過ぎる瞬間に窓から顔を出す。 すると石炭の煤が顔についてしまって、お母さんに叱られる。 でもそれでも懲りずに、また顔を出してしまう。 SLに乗ると、トンネルに入る前に窓を閉めなければなりませんでした。 閉め忘れると、トンネルの中で煤だらけになるからです。 車内のシートにも、うっすら黒い汚れが積もっていた。 それがSLに乗るということの、リアルな感触でした。 機関士という職業も、当時の子どもたちの...

SF・近未来ラノベ となりのロボット 第1話「彼女は味噌汁が飲めない」

引っ越しの挨拶に来た隣人は、段ボール箱を両手に抱えたまま、まっすぐ俺の目を見て言った。 「はじめまして。七号室に越してきました、ナナです。よろしくお願いします」 丁寧なお辞儀。笑顔。手土産のクッキー。 完璧だった。完璧すぎた。 「……ロボットですか」 「はい」 ナナはあっさり認めた。 「驚かせてしまいましたか?」 「いや、まあ」と俺は言った。「驚いた、けど」 驚いた理由は、ロボットだったからじゃない。ロボットが一人で部屋を借りて引っ越してきたことでもない。 ただ——その笑顔が、なんか、妙に自然だったから。 隣人はロボット ◇ ナナがこのアパートに越してきたのは、十月の頭のことだった。俺——田中蓮、二十九歳、フリーのイラストレーター——は六号室に三年住んでいる。隣が長いこと空いていたから、新しい住人が来るとは思っていなかった。 まして、ロボットが来るとは。 でも、大家さんは「入居審査は通ってますよ」とだけ言って、特に何も説明しなかった。最近はロボットに賃貸を貸す家主も増えてきたらしい。なんでも、家賃を滞納しないし、物を壊さないし、近隣トラブルを起こさないから、むしろ優良入居者なんだとか。 たしかに。 ナナは静かだった。廊下で会えばちゃんと挨拶してくれる。ゴミ出しのルールも完璧に守る。夜中に騒ぐこともない。 ただ一つ気になることがあるとすれば—— ◇ 「ナナさん、また廊下で立ってたんですか」 朝の七時。俺がゴミを捨てに出ると、ナナは共用廊下のベンチに腰かけて、外を見ていた。 「はい」と彼女は言った。「朝の空気が好きで」 「……ロボットって、空気の好みがあるんですか」 「あるかどうか、わかりません」とナナは答えた。「でも、ここにいると落ち着きます」 俺はゴミ袋を持ったまま、しばらくその隣に立っていた。たしかに、悪くない朝だった。遠くで鳥が鳴いていた。 「コーヒー、飲みますか」と俺は言った。なんとなく。 ナナは少し間を置いてから言った。 「飲めません。でも、そばにいてもいいですか」 「……どうぞ」 それが、ナナと話すようになったきっかけだった。 ◇ ナナはよく、俺の部屋に来た。 来ると言っても、飯を食うわけでも酒を飲むわけでもない。ただ、テーブルの向かいに座って、俺が作業するのを見ていた。たまに話しかけてきた。 「その絵、誰ですか」 「依頼の挿絵。小説の主人公」 「かわいい...