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前略 還暦からの歴史再入門 古代国家 飛鳥時代 法隆寺 聖徳太子が建てた寺院 千四百年前の建物が今も立つ理由 聖徳太子と法隆寺の物語

古きを訪ねて新しきを知る「温故知新」 皆さん、こんにちは。 前略、還暦からの歴史再入門、今日は飛鳥時代のお話です。前回は仏教が日本に伝わったところまでお話ししましたね。百済から仏像やお経が贈られてきて、それを受け入れるかどうかで蘇我氏と物部氏が対立した、というところまで進みました。今日はその続き、いよいよ聖徳太子が登場する時代のお話です。 飛鳥時代というのは、だいたい六世紀の終わりごろから七世紀の終わりごろまでを指す時代でして、奈良盆地の南、今の奈良県明日香村のあたりに都が置かれていた時代のことを言います。この時代の主役の一人が、皆さんもよくご存知の聖徳太子です。 聖徳太子は、用明天皇の息子として生まれました。子供の頃から大変聡明だったと伝えられていて、十人の話を同時に聞き分けて理解したという逸話まで残っているほどです。本当かどうかはさておき、それくらい優秀な人物だったということが後世まで語り継がれているわけですね。 さて、蘇我氏と物部氏の対立ですが、これは仏教を受け入れるかどうかという宗教的な対立であると同時に、実は朝廷内での権力争いでもありました。この戦いに勝利したのが蘇我氏でして、その後、蘇我馬子という人物が中心となって政治を進めていくことになります。そして推古天皇が即位すると、聖徳太子はその摂政として、蘇我馬子とともに国づくりを担っていくことになるのです。 聖徳太子が行ったことの中でも、特に有名なのが冠位十二階と十七条の憲法です。冠位十二階というのは、家柄ではなく個人の能力や功績によって役人の位を決める制度でして、それまでの日本にはなかった新しい考え方でした。十七条の憲法のほうは、法律というよりも、役人たちの心構えを説いたもので、「和をもって貴しとなす」という言葉は、皆さんも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。この言葉、実は聖徳太子が作ったこの憲法の第一条に出てくる言葉なんです。 そしてもう一つ、聖徳太子が力を入れたのが仏教の振興でした。仏教を単なる外国の宗教としてではなく、国を治めるための精神的な支えとして活用しようと考えたんですね。そこで建てられたのが、今日のテーマでもある法隆寺です。 法隆寺は、聖徳太子が推古天皇や父である用明天皇の病気平癒を願って建てたと伝えられているお寺で、奈良県の斑鳩というところにあります。創建は607年頃とされていまし...