ショーケースの奥で、旧式の冷却ファンが寿命を告げるような重低音を響かせている。 色褪せたピンク色のテント看板には、丸みを帯びたポップな書体で「洋菓子の店 ケン」と書かれている。
俺の名前はケンイチ。今年で58歳になる。 かつて、この商店街が甘いバニラエッセンスの香りに包まれていた昭和の終わり。子供たちはガラスケースに顔を押し付け、目を輝かせて俺を「ケーキ屋のケンちゃん」と呼んだ。
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| ケーキ屋のケンちゃん |
並んでいるのは、真っ赤なドレンチェリーが乗ったタヌキのケーキに、鮮やかな黄色のモンブラン。そして、銀色のパラフィン紙に包まれた素朴なイチゴのショートケーキ。 親父の代からレシピを変えていない、いわゆる「昭和のケーキ」だ。
だが、時代は残酷なまでに甘くない。 小麦粉やバター、卵の容赦ない価格高騰。駅ビルには宝石のようなムースやタルトを並べる有名パティスリーが入り、日々の甘いものはコンビニの高品質なスイーツで事足りる令和の現在。 時代遅れのバタークリームや、洗練されていない甘さのケーキは、もはやノスタルジーの対象にすらならなかった。
今月末の支払いのメドは、もう立っていない。 業者への未払いが限界を超え、今朝ついに生クリームの納品が止まった。 「ケンちゃん、無理はしなさんな」 半ばシャッター通りとなった商店街の寄り合いで、古くからの仲間に掛けられた言葉が、引導を渡されたようで胸に深く刺さった。
倒産だ。
クリスマスイブには、店の外まで何十メートルも行列ができたあの熱狂。 バタークリームの大きなデコレーションケーキの箱を抱え、父親たちが誇らしげに家路についたあの風景。 高度経済成長期の熱を帯びた「家族の幸せの象徴」は、俺の代でひっそりと息を引き取ろうとしている。
「親父、ごめんな」
誰もいない厨房で、使い込まれて黒ずんだ木の作業台を撫でる。 泡立て器を握る右手には、長年の仕事でできた分厚いタコがある。この手で、数え切れないほどの誕生日のロウソクを立て、祝いの言葉をチョコペンで書き続けてきた。その記憶だけは、決して嘘じゃない。
ボウルに残ったわずかな材料をかき集め、静かにホイッパーを動かし始める。 シャカ、シャカ、という規則正しい音だけが、薄暗い厨房に響く。
もう、誰かに売るためのケーキじゃないかもしれない。 だが、ショーケースを空のまま終わらせる気にはなれなかった。最後の日まで、この店は誇り高き「ケーキ屋」でなければならない。
表のドアのベルが、カランと高く鳴った。
「すみません、まだケーキ、ありますか?」 西日に照らされた入り口に立っていたのは、小さな女の子と手を繋いだ母親だった。
俺は深く息を吸い込み、粉砂糖で白く汚れたエプロンのシワを伸ばした。
「はい、いらっしゃいませ!」
作り笑いじゃない。あの頃と同じ、ケーキ屋のケンちゃんの満面の笑顔で、俺は客を迎え入れた。
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