旅行の前の夜は、なぜかなかなか眠れませんでした。
枕元に明日の準備をした荷物を置いて、何度も確認する。
カメラにフィルムは入っているか。
小遣いは財布に入れたか。
昭和の旅行には、出発前からすでにわくわくがありました。
まず、昭和の旅行がどんなものだったか、全体像をお話しします。
現在、旅行に行くときはスマートフォンで目的地を調べて、ホテルを予約して、乗り換えを検索して??すべてが手のひらの中で完結します。
昭和はまったく違いました。
旅行といえば、まず旅行代理店の窓口へ行くことから始まります。
日本交通公社、近畿日本ツーリスト??そういった旅行会社の窓口に出向いて、担当者と相談しながらプランを決めていく。
地図は紙の地図。
時刻表は分厚い本。
国鉄の時刻表は電話帳のように厚く、それをめくりながら乗り継ぎを調べるのも旅の準備のひとつでした。
写真はフィルムカメラで撮る時代ですから、一本のフィルムで撮れる枚数は24枚か36枚。
シャッターを押すたびに「これは撮る価値があるか」と真剣に考える。
撮った写真がどう写っているかは、現像するまでわからない。
旅から帰って、写真屋でフィルムを現像してもらい、一週間後に仕上がった写真を受け取る瞬間のドキドキは、今では味わえないものでした。
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| 昭和の旅行 |
昭和の旅行で、まず外せないのが社員旅行です。
年に一度か二度、会社全体あるいは部署単位で温泉地へ行く。
熱海、箱根、伊豆、草津??全国の温泉地が、社員旅行の団体客で賑わっていた時代です。
社員旅行は、建前上は任意参加でしたが、実際には断れない雰囲気がありました。
「今年の社員旅行、行けそうにありません」などと言えば、上司の顔色が変わる。
若手社員は特に、参加することが当然とされていました。
旅行先でも、会社の上下関係はそのままです。
温泉旅館の大広間に全員が集まって、上座に部長や課長が座り、下座に若手が並ぶ。
お酒が入っても、上司への気遣いは欠かせない。
「部長、もう一杯いかがですか」とお酌をして回るのが若手の仕事でした。
部屋割りも今とは違います。
一部屋に四人、五人が一緒に泊まるのが普通でした。
上司と同じ部屋になることもあり、夜中まで仕事の話や人生訓を聞かされる、という経験をした方も多いのではないでしょうか。
それでも、社員旅行には独特の楽しさがありました。
宴会の余興で普段は真面目な上司が一発芸を披露したり、普段は話したことのない他部署の同僚と仲良くなったり。
翌日の朝風呂で、昨夜の宴会の話をしながら笑い合う??職場だけでは生まれない人間関係が、旅先では生まれていました。
社員旅行の文化は、バブル崩壊後に急速に廃れていきます。
経費削減と、個人のプライバシーを重視する意識の変化が重なって、今では社員旅行を実施する会社は少数派になりました。
あの大宴会の喧騒が、懐かしいという方も多いのではないでしょうか。
次は、家族旅行の話です。
昭和の家族旅行といえば、マイカーでの旅行が憧れでした。
1970年代から80年代にかけて、日本のモータリゼーションが進み、車を持つ家庭が増えていきます。
トヨタのカローラ、日産のサニー??家族四人がぎゅうぎゅうに乗り込んで、高速道路を走る。
カーナビはありません。
助手席のお母さんが、広げた道路地図を読みながら道案内をする。
地図を読むのが得意なお母さん、苦手なお母さん、そしてそれをめぐって口論になるお父さん??日本中の車の中で、同じような光景が繰り広げられていました。
サービスエリアに寄るのも、家族旅行の大きな楽しみのひとつでした。
普段は食べられないアイスクリームを買ってもらい、展望台から高速道路を眺める。
子どもにとってサービスエリアは、旅行の目的地と同じくらい特別な場所でした。
目的地は温泉か、海水浴場か、観光地か。
旅館に着いたら浴衣に着替えて、大浴場に入って、畳の大広間で夕食を食べる。
仲居さんが次々と料理を運んでくる宴会形式の夕食が、旅館の定番スタイルでした。
翌日の観光では、記念写真を撮るために有名な場所の前で一列に並ぶ。
「もう少し右、そこでストップ、はいチーズ」
フィルムが限られているので、何枚も撮り直しはできない。一発勝負の記念写真です。
お土産を選ぶ時間も、旅行の大切な時間でした。
友達へのお土産、近所のおばさんへのお土産、担任の先生へのお土産。
誰かの顔を思い浮かべながら、お土産屋の棚をゆっくり眺める。
その人が喜んでくれるかどうか想像しながら選ぶ、その時間が旅のしめくくりでした。
そして、昭和の旅行で最も記憶に残るのが、修学旅行ではないでしょうか。
小学校は奈良・京都、中学校は京都・奈良か東京、高校は京都・奈良か九州??昭和の修学旅行の行き先は、全国どこもほぼ同じでした。
出発の朝は、夜明け前から目が覚めます。
駅のホームに並んだクラスメートたちの顔が、みんな眠そうで、でも興奮している。
先生から「班行動を守るように」と何度も言われながら、修学旅行列車に乗り込む。
新幹線の中では、買ってきたお弁当を広げて、トランプをして、好きな子の隣に座れるかどうかでドキドキして。
車内での過ごし方がすでに、修学旅行の大きな楽しみでした。
観光地での班行動では、必ずといっていいほど迷子が出ました。
地図を持っていても、現在地がわからなくなる。
携帯電話がないので、はぐれたら集合場所で待つしかない。
班のメンバーが一人いなくなって、先生が血相を変えて探し回る??そんな騒動が、どこの学校でも一度はありました。
旅館での夜は、修学旅行のクライマックスです。
消灯時間を過ぎても、布団の中でこそこそ話し続ける。
隣の部屋から笑い声が聞こえてくる。
先生が巡回に来る足音がしたら、一斉に布団をかぶって寝たふりをする。
枕投げをして、誰かが泣いて、朝方まで誰も眠れなくて??それでも翌日の観光では元気に動き回る。
あの体力は、子どもの頃にしかないものでした。
修学旅行で買ったお土産を、好きな子にそっと渡す。
「京都で買ったんだけど」と、何でもないふりをして手渡す。
それだけのことに、どれほど勇気が必要だったか。
そういう小さな記憶が、何十年経っても消えないのが修学旅行という不思議な旅です。
昭和の旅行で、一番印象に残っている思い出を教えてください。
「社員旅行の宴会で上司に絡まれた」
「家族旅行でお父さんが道に迷って大変だった」
「修学旅行で消灯後に先生に見つかった」
どんな小さな思い出でも、ぜひコメントで聞かせてください。
旅先での記憶は、なぜかいつまでも鮮明に残っていますよね。

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