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【昭和の記憶】家族でカラーテレビを囲んだ夜のはなし


夕方6時になると、お母さんが台所で夕食の準備を始める。

お父さんが会社から帰ってくる音がする。

子どもたちはテレビの前に陣取って、チャンネルをめぐって言い合いをしている。

昭和の夜は、一台のテレビを中心に動いていました。


昭和の夜は、一台のテレビを中心に動いていました。
昭和の夜は、一台のテレビを中心に動いていました。


カラーテレビが日本の家庭に普及し始めたのは、1970年代のことです。

1964年の東京オリンピックがきっかけで白黒テレビが急速に普及しましたが、その後カラー放送が始まり、カラーテレビへの買い替えが進んでいきました。


1975年(昭和50年)頃には、一般家庭へのカラーテレビの普及率がほぼ90パーセントを超えます。

ただし、テレビは一家に一台の時代です。

子ども部屋にテレビがあるなど、考えられない話でした。

テレビはリビングに一台だけ
テレビはリビングに一台だけ


テレビはリビングに一台だけ。家族全員が同じ部屋に集まって、同じ番組を見る。

それが昭和の夜の、当たり前の光景でした。

テレビそのものが、まだ高価な家電でした。

画面が壊れると修理に出して、修理されて戻ってくるまでの間、家の中がどこか寂しくなる。

テレビがそれほど、生活の中心にあったんです。



テレビが一台しかないということは、何を見るかをめぐって家族で争いが起きるということです。

チャンネル争いは、昭和の家庭における日常の風物詩でした。


子どもはアニメを見たい。

お父さんはプロ野球中継を見たい。

お母さんはドラマを見たい。


リモコンが普及する前は、テレビのそばまで行ってダイヤルを回してチャンネルを変えていました。

そのダイヤルを誰が握るか、それ自体が権力の問題でした。

たいていの場合、最終的な決定権はお父さんにありました。


「今日はナイター見るぞ」とお父さんが言えば、子どもたちは渋々あきらめる。

その代わり、週に一度だけ子どもが見たい番組を優先してもらえる、という暗黙のルールがある家庭も多かったようです。


チャンネル数も今とはまったく違います。

昭和50年代の地方では、映るチャンネルが三つか四つしかない地域も珍しくありませんでした。

それでも「見るものがない」とは誰も言わなかった。選択肢が少ない分、家族が同じ番組を見て、同じところで笑い、同じところで驚いていました。



昭和のテレビを語るうえで、外せない番組があります。

まず「8時だョ!全員集合」です。

土曜日の夜8時、ドリフターズが繰り広げるコントバラエティ番組で、最高視聴率は50パーセントを超えました。

つまり、日本人の二人に一人が同じ番組を見ていた計算になります。

いかりや長介の「ダメだこりゃ」、志村けんの「アイーン」、バケツの水をかぶるコント。


翌朝の学校では、前の夜のドリフのネタを真似することが、子どもたちの共通語になっていました。

一方で、PTAからは「子どもに見せたくない番組」として批判を受け続けた番組でもあります。

でも子どもたちは親の目を盗んでテレビの前に座り、声を押し殺して笑っていた。

そういう「ちょっと悪いことをしている感覚」も、あの番組の魅力のひとつだったかもしれません。


プロ野球中継も、昭和の夜を支えた番組です。

巨人戦の中継は、視聴率が30パーセントを超えることが珍しくなかった時代。

王貞治、長嶋茂雄??スター選手の一打一投に、家族全員が画面に釘付けになりました。

延長戦になって、見たかったドラマが押し出されると、お母さんが小さくため息をつく。そんな光景が日本中の家庭で繰り広げられていました。


大河ドラマや連続テレビ小説も、昭和の家庭のテレビを彩った番組です。

NHKの朝ドラは、お母さんが朝ごはんの準備をしながら見るもので、その日の話題を近所のおばさんと話す、という流れが各地でありました。



テレビは単なる娯楽装置ではありませんでした。

家族を同じ場所に集める、磁石のような役割を持っていたんです。

お父さんが帰ってくる時間に合わせて、家族がリビングに集まる。

夕食を食べながらニュースを見て、その後はバラエティやドラマを見る。

テレビを見ながら、家族が自然に会話をする。


「さっきのコント、面白かったな」

「あの選手、また打ったぞ」

「このドラマの犯人、誰だと思う?」

テレビが話題を提供して、家族の会話が生まれる。

意識して「家族の時間を作ろう」などとしなくても、テレビの前に自然と人が集まり、気がつけば家族で笑っている??それが昭和の夜でした。


テレビの電源を切る時間も、だいたい決まっていました。

夜11時か12時になると、放送が終了します。

画面にカラーバーが映し出されて、ザーッというノイズ音が流れる。

それを合図に、「さあ、寝なさい」とお母さんが声をかける。

今のようにNetflixで朝まで見続ける、などということは、物理的に不可能でした。



カラーテレビが家庭に入ってきたことで、変わったものもありました。

テレビが来る前、夜の家庭の娯楽は何だったのか。

家族で話をする、将棋や花札をする、ラジオを聴く、本を読む??そういう時間が、テレビの登場によって少しずつ押しのけられていきました。


テレビが家族を集めた一方で、テレビに向かって黙って座るという習慣も生んだ。

「テレビを見ている間は静かにしなさい」という空気が生まれ、家族の会話が減ったという側面もあります。

それでも、一台のテレビを家族で囲んでいた時代は、今思えば豊かな時間でした。

全員が同じ番組を見て、同じことで笑う。


それだけで、家族がひとつにつながっていた。

スマートフォンが普及した今、家族が同じ部屋にいながら、それぞれ別の画面を見ている光景は珍しくありません。

昭和のお父さんがその光景を見たら、何と言うでしょうか。



あなたの家では、テレビをめぐってどんなことがありましたか?

「チャンネル争いでよく兄弟けんかをした」

「ドリフを見て家族みんなで笑った」

「プロ野球でお父さんが延長戦を見続けていた」

ぜひコメントで教えてください。

あの頃の夜の記憶を、みんなで話しましょう。


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