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【昭和の記憶】バブル前夜、サラリーマンたちの残業と夢



夜の10時。

東京・丸の内のオフィスビルには、まだ煌々と明かりがついていました。

窓の向こうで、ネクタイを緩めたサラリーマンたちが、書類の山と格闘している。

でも、その顔には不思議と暗さがなかった。

「頑張れば、必ず報われる」??誰もがそう信じていた時代の話です。

サラリーマンたちの残業と夢
サラリーマンたちの残業と夢


昭和60年、1985年前後の日本を振り返りましょう。

前回お話しした昭和50年代のテレビの時代から、さらに10年が経っています。

日本経済は力強く成長を続け、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉がアメリカの本のタイトルになるほど、日本の存在感が世界で高まっていた時代です。


街を歩けば、新しいビルが次々と建っていく。

求人誌には仕事があふれ、就職活動をすれば複数の企業から内定がもらえる。

給料は毎年上がり、ボーナスも右肩上がり。

「来年は今年より豊かになる」ということを、誰もが疑わなかった。


そんな空気の中で、サラリーマンたちは働いていました。

1985年にはプラザ合意があり、円高が急速に進みます。

輸出企業は打撃を受けましたが、日本国内の景気は過熱していく一方でした。

そしてこの数年後、日本はバブル景気の絶頂を迎えることになります。



昭和60年代のサラリーマンの一日は、今とまるで違いました。

朝8時半に出社して、夜は10時、11時まで働くのが当たり前。

残業代が出る会社もあれば、出ない会社もある。

それでも誰も文句を言わなかった。


なぜか。

残業することが、仕事への誠意を示すことだったからです。

定時に帰る社員は「やる気がない」と見られる。

上司より先に席を立つことは、暗黙のルール違反。

仕事が終わっていても、上司が残っている限りは帰れない。


そういう職場が、日本中にありました。

残業の多さを、むしろ誇りに思う空気すらありました。

「俺は今月100時間残業した」という言葉が、武勇伝のように語られる。

今の感覚では信じられませんが、それが昭和の職場のリアルでした。

書類はすべて手書きかタイプライター。


コピーを一枚取るにも手間がかかる。

計算はそろばんか電卓で、一つひとつ手で確認する。

今ならパソコンで数分でできる作業に、何時間もかけていた。

それが残業の長さにも直結していました。



昭和のオフィスの風景は、今とまったく異なります。

まず、タバコです。

オフィスの中で、普通にタバコを吸っていました。

喫煙席と禁煙席の区別などなく、デスクの上に灰皿が置いてあるのが当たり前。

タバコを吸わない社員も、一日中タバコの煙の中で仕事をしていた。


電話は固定電話のみで、携帯電話はありません。

取引先からの電話は必ず会社にかかってくるので、外出中の上司への伝言を正確に聞き取って、メモを残すことが若手社員の重要な仕事でした。

「田中部長に〇〇商事の山田様からお電話がありました」という伝言メモが、デスクの上に積み重なっていく。

社内の連絡はすべて対面か内線電話。

メールはまだありません。

急ぎの連絡は内線で、そうでなければ直接相手のデスクまで歩いていって話す。

今のようにチャットで済ませる、ということができない分、人と人が直接顔を合わせる機会が圧倒的に多かった。

女性社員はお茶くみが仕事のひとつでした。

来客があると、お盆に湯呑みを並べてお茶を運ぶ。

それが当時の職場では当然のこととされていた。

今の価値観では到底受け入れられませんが、昭和の職場にはそういう役割分担が厳然と存在していました。



仕事が終わると、サラリーマンたちが向かうのは赤提灯の居酒屋です。

上司に「今日一杯どうだ」と声をかけられたら、断ることはできません。

「お疲れ様です」と言って、上司の後をついていく。

それが昭和の若手社員の、夜の仕事でした。


居酒屋では、ビールで乾杯して、焼き鳥をつつきながら仕事の話をする。

上司の武勇伝を聞き、会社の愚痴を言い合い、将来の夢を語る。

今でいう「飲みニケーション」ですが、当時はそれが人間関係を作る唯一の方法でもありました。


お酒の席での会話が、翌日の仕事に影響することも珍しくありませんでした。

居酒屋で上司に気に入られた若手が、重要な仕事を任されるようになる。

逆に、飲み会を断り続けた社員が、職場で孤立していく。

理不尽ではありますが、それが昭和の職場の現実でした。


それでも、あの赤提灯の居酒屋には独特の温かさがありました。

仕事の肩書きを少し脱いで、上司も部下も同じ人間として向き合う時間。

「あの頃の飲み会は楽しかった」と、今になって振り返る方も多いのではないでしょうか。

終電の時間になると、サラリーマンたちは駅へと走りました。

終電を逃せばタクシーしかない。

タクシー乗り場に長い行列ができる光景が、昭和の夜の終わりの風景でした。



残業して、飲み会に付き合って、終電で帰る。

体は疲れていても、サラリーマンたちの心には夢がありました。

「頑張れば課長になれる、部長になれる」

「このまま景気が続けば、いつかマイホームが持てる」

「子どもを大学まで行かせてやれる」


高度経済成長からバブルに向かうこの時代、努力が報われるという感覚を、多くの人が持っていました。

会社に忠誠を誓って働けば、会社が一生面倒を見てくれる。

終身雇用と年功序列が当たり前の時代に、サラリーマンという職業には安心感と誇りがありました。

週刊誌には「10年後に部長になるための仕事術」という記事があふれ、ビジネス書が飛ぶように売れた。


上を目指すことへの迷いがない時代。

がむしゃらに働くことに、意味があると信じられた時代。

その夢の先に何が待っていたか??バブルの崩壊と、失われた30年??それはまた別の話です。

でも少なくとも、この時代のサラリーマンたちは、本気で明日を信じて働いていました。

その姿は、どこか眩しく映ります。



バブル前夜の時代、あなたはどんな仕事をしていましたか?

「毎日終電まで働いていた」

「上司に連れられて毎晩飲みに行った」

「あの頃は本当にきつかったけど、楽しかった」

ぜひコメントで聞かせてください。

あの時代を一緒に振り返りましょう。


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