前略 国道3号線から。門司から鹿児島まで、九州の背骨を走る全長約480キロのその道を、僕は今日も走っている。
助手席には、錆びかけたサーモボトル。バックミラーには、揺れるたびにカランと音を立てる小さな貝殻のストラップ。荷台には、今日の仕込みを終えたキッチンカー――「旅するごはん屋 そら豆」の看板が、朝の光を受けて光っている。
旅を始めたのは、去年の秋のことだ。
東京でサラリーマンをしていた。毎朝同じ電車に乗って、同じデスクに座って、同じ時間に退社する。悪い生活じゃなかった。ただ、ある朝ふと気づいたんだ。自分が何を食べたいのか、わからなくなっていたことに。
それが、全部の始まりだった。
福岡を出て最初に車を止めたのは、筑紫野のコンビニの駐車場だった。勝手に停めていい場所じゃなかったかもしれないけど、隣に停まっていたトラックの運転手のおじさんが声をかけてきた。
「兄ちゃん、何売りよると?」
「豚汁と、おにぎりです」
「豚汁か。食わせてくれ」
おじさんは200円の豚汁を両手で包むように持って、一口飲んで、黙った。しばらくして、「うまい」とだけ言った。その顔が忘れられない。疲れた顔の中に、何かが戻ってくるみたいな、あの顔が。
熊本では、阿蘇の麓の道の駅に三日間停めてもらった。地元のおばあちゃんたちが、朝採りのネギを持ってきてくれた。「これ使え」と言って、お金も受け取らずに帰っていく。翌日はたけのこ。その翌日はしいたけ。
僕はそのたびにメニューを変えた。たけのこの炊き込みごはん、しいたけのすまし汁。地元の食材が、旅の味になっていく。
道の駅のスタッフの女の子が、閉店後に缶コーヒーを持ってきてくれた。「来年も来てください」と言った。来年、また来られるかどうかわからない。でも、「来ます」と答えた。それは嘘じゃなかった。
八代を過ぎると、道は少し細くなる。山が近くなって、川の音がする。ラジオは民謡を流していた。
僕はなんでこの旅をしているんだろうと、よく考える。
逃げてきたのかもしれない。でも走っているうちに、それが逃げじゃなくて、ちゃんと何かに向かっていることに気づいてきた。お腹を空かせた誰かに、温かいものを手渡す。それだけのことが、こんなにも確かな手応えを持っている。
鹿児島まで、あと100キロ。
桜島が見えたら、この旅の第一章は終わる。でも終わりじゃない。国道3号線の終点は、次の道の始まりだと、今はそう思っている。
夕暮れの3号線を、「そら豆」はゆっくりと南へ走る。荷台の鍋の中には、明日の朝に出す豚汁の出汁が、まだ温かく揺れている。
前略 国道3号線から。今日もいい一日だった。
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