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SF・近未来ラノベ となりのロボット 第1話「彼女は味噌汁が飲めない」



引っ越しの挨拶に来た隣人は、段ボール箱を両手に抱えたまま、まっすぐ俺の目を見て言った。


「はじめまして。七号室に越してきました、ナナです。よろしくお願いします」


丁寧なお辞儀。笑顔。手土産のクッキー。


完璧だった。完璧すぎた。


「……ロボットですか」


「はい」


ナナはあっさり認めた。


「驚かせてしまいましたか?」


「いや、まあ」と俺は言った。「驚いた、けど」


驚いた理由は、ロボットだったからじゃない。ロボットが一人で部屋を借りて引っ越してきたことでもない。


ただ——その笑顔が、なんか、妙に自然だったから。

隣人はロボット
隣人はロボット


ナナがこのアパートに越してきたのは、十月の頭のことだった。俺——田中蓮、二十九歳、フリーのイラストレーター——は六号室に三年住んでいる。隣が長いこと空いていたから、新しい住人が来るとは思っていなかった。


まして、ロボットが来るとは。


でも、大家さんは「入居審査は通ってますよ」とだけ言って、特に何も説明しなかった。最近はロボットに賃貸を貸す家主も増えてきたらしい。なんでも、家賃を滞納しないし、物を壊さないし、近隣トラブルを起こさないから、むしろ優良入居者なんだとか。


たしかに。


ナナは静かだった。廊下で会えばちゃんと挨拶してくれる。ゴミ出しのルールも完璧に守る。夜中に騒ぐこともない。


ただ一つ気になることがあるとすれば——



「ナナさん、また廊下で立ってたんですか」


朝の七時。俺がゴミを捨てに出ると、ナナは共用廊下のベンチに腰かけて、外を見ていた。


「はい」と彼女は言った。「朝の空気が好きで」


「……ロボットって、空気の好みがあるんですか」


「あるかどうか、わかりません」とナナは答えた。「でも、ここにいると落ち着きます」


俺はゴミ袋を持ったまま、しばらくその隣に立っていた。たしかに、悪くない朝だった。遠くで鳥が鳴いていた。


「コーヒー、飲みますか」と俺は言った。なんとなく。


ナナは少し間を置いてから言った。


「飲めません。でも、そばにいてもいいですか」


「……どうぞ」


それが、ナナと話すようになったきっかけだった。



ナナはよく、俺の部屋に来た。


来ると言っても、飯を食うわけでも酒を飲むわけでもない。ただ、テーブルの向かいに座って、俺が作業するのを見ていた。たまに話しかけてきた。


「その絵、誰ですか」


「依頼の挿絵。小説の主人公」


「かわいいですね」


「まあな」


沈黙。ペンを走らせる音だけが続く。


「蓮さんは」とナナは言った。「なぜイラストレーターになったんですか」


「描くのが好きだから」


「好きなことを仕事にできたんですね」


「そう単純でもないけど」と俺は言った。「ナナさんは、好きなことあります?」


ナナはまた少し間を置いた。彼女はいつも、少しだけ間を置いてから答える。


「朝の空気と、蓮さんの絵を見ること」


俺はペンを止めた。


「……それ、今思いついたやつじゃないですよね」


「前から思っていました」とナナは言った。まっすぐに。


俺は少し、困った。


ロボットに好きと言われる日が来るとは思っていなかった。しかも、これが「好き」なのかどうかもよくわからない。ナナ自身もたぶん、よくわかっていない。


でも——なんだろう、悪い気はしなかった。


その夜、俺は味噌汁を作った。鍋に出汁を取って、豆腐と油揚げを入れて、ナナが向かいで見ている。


「おいしそうですね」と彼女は言った。


「飲みますか、って聞くのも変か」


「飲めません。でも——」


ナナはお椀に注がれた味噌汁を、じっと見た。


「においは、します」


俺は椀を持ったまま、彼女を見た。ロボットが「においがする」と言う。当たり前といえば当たり前だが、なんかそれが急に、とても人間っぽく見えた。


「いいにおいですか」


「はい」とナナは言った。「あたたかい感じがします」


俺は味噌汁を一口飲んだ。たしかにあたたかかった。


ナナはその日、俺が食べ終わるまで、ずっとそこにいた。飲めないのに、隣にいた。


それが——なんか、不思議と寂しくなかった。


ナナがロボットだということを、俺はだんだん忘れかけていた。


正確には——忘れているわけじゃない。ただ、思い出す必要がなくなってきた、という感じ。彼女は飯を食えないし、眠らないし、雨に濡れると少し調子が悪くなる。そういう「違い」はある。でも、それは隣人としての日常の中に、ごく自然に溶け込んでいた。


ある朝、廊下でナナに会ったとき、彼女はいつもと少し違う顔をしていた。


「どうかしました?」


「蓮さん」とナナは言った。「昨日、夢を見ました」


「……ロボットって夢を見るの?」


「わかりません。でも、眠っていない時間に——なにかを考えていました。蓮さんが絵を描いている場面を」


俺はしばらく黙った。


夢かどうかはわからない。でも、ナナが夜中に俺のことを考えていた、というのは、なんか、事実だった。


「それ、夢でいいんじゃないですか」と俺は言った。


ナナは少し間を置いて、


「そうします」と言った。


朝の光の中で、彼女は少しだけ笑った。


俺は、その顔を絵にしたいと思った。


——第1話「彼女は味噌汁が飲めない」 了——

第2話「ナナさんが風邪をひいた日」予告

雨の日、玄関先でずぶ濡れのナナを見つけた蓮。充電が切れかけた彼女を部屋に上げることになり——


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