古きを訪ねて新しきを知る「温故知新」
前略、還暦からの歴史再入門、今日は奈良時代の幕開け、平城京への遷都と、東大寺の大仏建立についてお話ししていきたいと思います。前回までは飛鳥時代の大化の改新や大宝律令についてお話ししてきましたが、そうした国づくりの土台の上に、いよいよ奈良時代という新しい時代が始まっていきます。それでは早速見ていきましょう。
710年、都は藤原京から平城京へと移されます。これが今の奈良市のあたりにあたる場所です。それまでの都というのは、天皇が代わるたびに新しい場所に移すのが習わしでした。ところが平城京からは、しばらくの間、同じ場所に都が据え置かれるようになります。これは、大宝律令によって整えられた律令国家のしくみが、腰を据えてじっくり運営していく段階に入ったことを意味しています。国のしくみが整ってきたからこそ、都もどっしり構えられるようになった、というわけですね。
平城京は、当時の中国、唐の都であった長安をお手本にして作られました。碁盤の目のように整然と区画された都市計画で、中央には朱雀大路という広い大通りが南北に貫き、その両側に貴族や役人の屋敷、そして市場などが整然と並んでいました。人口は最盛期で十万人ほどにもなったと言われていて、当時としては東アジアでも屈指の大都市だったんです。海の向こうの進んだ都市計画を取り入れながら、日本なりの都をつくり上げていく、そのエネルギーには驚かされますね。
さて、この奈良時代を語るうえで欠かせないのが、聖武天皇による東大寺の大仏建立です。聖武天皇の治世は、決して穏やかなものではありませんでした。都では貴族同士の権力争いが絶えず、さらに天然痘という感染症が大流行して、多くの命が失われるという大変な時代だったんです。加えて各地では飢饉や災害も相次ぎました。こうした度重なる災いに、聖武天皇は深く心を痛め、仏教の力によって国を守り、人々の不安を鎮めようと考えるようになります。
そこで聖武天皇が発したのが、大仏造立の詔という命令です。743年に出されたこの詔では、国じゅうの銅を集め、山を削るほどの労力をかけてでも、大きな仏像を造り上げるのだという強い決意が示されています。単に立派な仏像を造りたいという話ではなく、国全体が心を一つにして仏の力にすがり、平和で安定した国をつくろうという、切実な願いが込められていたんですね。
大仏の建立は、想像を絶するほどの大事業でした。使われた銅の量は数百トンにものぼり、当時の日本にあった銅資源のかなりの部分を注ぎ込んだとも言われています。金メッキを施すための金も必要で、そのための金が国内で発見されたというニュースは、当時の朝廷にとって大変な朗報だったそうです。そして何より、この巨大な工事に関わった延べ人数は、二百万人以上にものぼったという記録も残っています。当時の日本の人口を考えると、いかに国を挙げての一大プロジェクトだったかがわかりますね。
この大仏建立に大きく貢献した人物として、行基というお坊さんの存在も忘れてはいけません。行基は当時、朝廷から正式に認められていない立場でありながら、各地を回って橋や用水路を作るなど、民衆のために活動していた人物でした。その人望の厚さに目をつけた聖武天皇は、行基に協力を要請します。行基が持っていた民衆とのつながりがあったからこそ、大仏建立に必要な人手や資材が、全国から集まってきたとも言われているんです。上からの命令だけでなく、民衆の力を巻き込んでいったところが、この事業の面白いところだと思います。
752年、ついに大仏の開眼供養が盛大に執り行われました。開眼供養というのは、仏像に目を描き入れて魂を吹き込む儀式のことです。この式典には、インドから来た僧侶をはじめ、海外からの要人も参列するなど、国際色豊かな一大セレモニーになりました。国内外から大勢の人が見守るなか、日本という国が、仏教文化の面でも国際社会の一員としての存在感を示した瞬間だったと言えるでしょう。
平城京への遷都と東大寺の大仏建立、この二つの出来事を通じて見えてくるのは、律令国家として体制を整えた日本が、次にどうやって国内をまとめ、対外的にも存在感を示していくかという、新しい課題に向き合っていた姿です。天皇の権威を、政治のしくみだけでなく、仏教という当時最先端の思想と文化の力でも支えていこうとした、そういう時代だったんですね。
還暦を迎えられた皆さんも、奈良の大仏と聞けば、修学旅行の記憶がよみがえる方も多いんじゃないでしょうか。ただの大きな仏像として眺めるのではなく、感染症や飢饉に苦しんだ時代の人々の切実な願いが込められた存在だと知ると、また違った感慨がわいてくるかもしれません。次回は、この平城京の時代から、平安京への遷都に至る流れをお話ししていきたいと思います。それでは、今日はこのあたりで失礼いたします。
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| 平城京 東大寺に大仏建立 平城京に都を移す |

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