病院の廊下に、長い列ができていました。
順番を待つ間、消毒液の匂いが鼻をつく。
診察室のドアが開くたびに、子どもたちがびくりと体を縮める。
あの頃の病院には、独特の緊張感がありました。
そして、それ以上の温かさも。
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| 昭和の病院 |
昭和の病院と今の病院で、まず違うのは予約システムです。
今は多くの病院でインターネット予約ができ、待ち時間も事前にある程度わかります。
昭和にそんなものはありません。
朝早くから病院へ行き、受付に診察券を出して番号札をもらう。
その番号が呼ばれるまで、廊下の長椅子に座って待つ。
待ち時間は平気で二時間、三時間ということがありました。
具合が悪い体を引きずって病院まで来て、さらに何時間も待たされる。
それでも文句を言う人は少なかった。
「病院とはそういうものだ」という認識が、当時は共有されていたからです。
診察室の中には、白衣を着た医師が一人。
聴診器を当てて、喉を診て、お腹を触って、「はい、わかりました」。
今のようにコンピューターの画面を見ながら説明するのではなく、医師が直接患者の体を診る。
その分、医師と患者の距離が近く、顔と顔を向き合わせた診察が行われていました。
昭和の病院で、子どもたちが最も恐れていたもの??それが注射です。
注射が怖くない子どもなど、ほとんどいませんでした。
診察室に入る前から「注射はしますか」と親に聞き、「しないよ」と言われてほっとして、でも結局注射になって大泣きする。
そういう子どもが、病院の廊下には必ずいました。
昭和の注射には、今と大きく違う点がありました。
注射器の使い回しです。
現在は注射器を一人ひとりに使い捨てにするのが当たり前ですが、昭和の時代、特に昭和30年代から40年代にかけては、注射器を消毒して複数の患者に使い回すことが行われていました。
針を熱湯消毒したり、アルコールで拭いたりして再利用する。
感染症リスクという観点では問題がありましたが、当時はそれが標準的な医療行為でした。
注射の後は、アルコールを含ませた脱脂綿で針を刺した場所を押さえて、「はい、終わり」。
泣いていた子どもに看護婦さんが「よく頑張ったね」と声をかける。
注射に耐えた後の、あの解放感は格別でした。
集団予防接種も、昭和の子どもたちの記憶に残るものです。
学校の体育館や講堂に全校生徒が集められ、順番に腕をまくって注射を受ける。
前の子が泣き叫ぶのを見て、自分の順番が近づくにつれてどんどん顔が青くなっていく。
あの光景を覚えている方は多いのではないでしょうか。
昭和の医療を語るうえで、絶対に外せないのが赤チンです。
赤チン??正式名称はマーキュロクロム液。
鮮やかな赤い色をした消毒薬で、傷口に塗ると真っ赤に染まります。
昭和の子どもたちは、転んで膝を擦りむくたびに赤チンを塗ってもらいました。
外で遊んで怪我をして帰宅すると、お母さんが赤チンの瓶を取り出す。
傷口に塗る瞬間のあのひりひり感と、傷口が真っ赤に染まっていく様子。
翌日学校に行くと、同じように膝に赤チンを塗った子が何人もいて、「俺も昨日やった」と傷を見せ合う。
赤チンは各家庭の救急箱に必ず入っているものでした。
バンドエイド、オキシドール、そして赤チン??この三点セットが、昭和の家庭の救急箱の定番でした。
ところが赤チンは、水銀を含む薬品です。
環境への影響が問題視されるようになり、日本では2020年に製造が終了しました。
あの鮮やかな赤い色を、傷口に塗ってもらった記憶がある方にとっては、遠い昭和の日が思い出されるのではないでしょうか。
赤チンと並んで昭和の子どもたちに馴染み深かったのが、ヨードチンキとオキシドールです。
オキシドールを傷口に垂らすと、シュワシュワと泡が立つ。
その泡が「ばい菌をやっつけている証拠だ」と言われていて、子どもたちはその泡を不思議そうに眺めていました。
昭和の医療で、今ではほとんど見られなくなったもの??それが往診です。
往診とは、医師が患者の自宅まで診察に来てくれることです。
高熱が出て、とても病院まで行ける状態ではない。
そういうときに電話一本かければ、町のお医者さんが黒い往診鞄を持って家まで来てくれました。
往診に来る医師は、たいていその地域に長年住み着いた開業医でした。
家族全員の病歴を知っていて、「お父さんは胃が弱いから」「この子は扁桃腺が腫れやすいから」と、家族全員の体質を把握している。
いわゆる「かかりつけ医」が、今よりずっと深く家族の生活に根ざしていた時代です。
往診のお医者さんが玄関に入ってくると、家の中の空気が変わりました。
白衣ではなく、背広姿で来る先生も多かった。
「どうしましたか」と落ち着いた声で聞きながら、聴診器を取り出す。
体温計を脇に挟んで、喉を診て、お腹を触って、「これを飲めば大丈夫です」と薬を置いていく。
その姿には、今の病院では感じにくい、人としての温かみがありました。
先生が帰った後、熱でぼんやりした頭でも「これで大丈夫だ」という安心感があった。
往診が減っていった理由はいくつかあります。
医師の数が増えて病院が充実したこと、交通が便利になって病院へ行きやすくなったこと、そして医療が専門化して一人の医師がすべてを診ることが難しくなったこと。
今では往診は高齢者や在宅医療の場面に限られることが多く、子どもの発熱で先生が家に来てくれるという光景は、ほとんど見られなくなりました。
昭和の治療には、今では使われなくなったものがいくつかあります。
風邪を引いたときの定番は、葛根湯と総合感冒薬でした。
薬局で「風邪薬ください」と言うと、薬剤師のおじさんが「どんな症状ですか」と聞いてくれて、症状に合わせて薬を選んでくれる。
今のようにドラッグストアで自分で選ぶのではなく、薬剤師との会話の中で薬が決まる。
そこにも人との関わりがありました。
注射で栄養補給をすることも、昭和では一般的でした。
疲れたら「栄養注射を打ってもらいに行く」という大人が普通にいた。
点滴を受けながら「これで元気になる」と信じていた時代です。
昭和の医療は、今の医療と比べれば技術的に劣っていた部分もあります。
でも、医師と患者、病院と地域の間にあった人間的なつながりは、今よりずっと濃いものでした。
往診に来てくれた先生の顔を、何十年経っても覚えている方が多いのは、そのつながりの深さを物語っています。
昭和の病院や医療の思い出、ぜひ教えてください。
「注射が怖くて病院の前で逃げ出しそうになった」
「赤チンを塗ってもらった記憶がある」
「往診に来てくれた先生の顔を今でも覚えている」
どんな小さな記憶でも、コメント欄でお待ちしています。
昭和の病院の話を、一緒に振り返りましょう。

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