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前略 歴史再入門 鎌倉時代 元寇 蒙古襲来 元軍による2度の日本侵攻に神風が吹く神風は本当にただの奇跡だったのか。鎌倉武士たちの必死の抵抗と、海の底に眠る沈没船が語る真実。

前略、歴史再入門です。 今日は鎌倉時代のビッグイベント、元寇についてお話ししていきます。蒙古襲来なんて言葉、学校の授業で聞いたことがある方も多いと思いますが、実はこの話、教科書で習うよりもずっとドラマチックで、しかもかなりギリギリの戦いだったんです。今日はそのあたりを、友達に話すような感じでゆるっと紹介していきますね。 まず時代背景から整理しましょう。当時のモンゴル帝国、これはもう人類史上最大級と言っていいくらいの超巨大帝国でした。ユーラシア大陸のほとんどを飲み込んでしまうくらいの勢いで、当時の皇帝はフビライ・ハン。チンギス・ハンの孫にあたる人物です。このフビライ、中国を支配して元という国を建てるんですが、彼の野望はそれだけでは終わりませんでした。次に狙いを定めたのが、海の向こうにある小さな島国、日本だったわけです。 フビライは最初、いきなり攻めてきたわけではありません。何度も使者を送って、日本に対して服従するように求めてきました。つまり、うちの家来になりなさい、貢ぎ物を送りなさい、という話です。ところが当時の鎌倉幕府、執権だった北条時宗という若きリーダーが、この要求をきっぱりと突っぱねます。使者を送り返す、なんてレベルではなく、後には使者を処刑してしまうという、かなり強気な対応まで取るんです。これがフビライの逆鱗に触れて、いよいよ本格的な侵攻へと発展していきます。 そして起きたのが一度目の襲来、文永の役です。これが1274年のことでした。元軍は高麗、今の朝鮮半島の軍勢も合わせて、数万人規模の大艦隊を組んで博多湾に押し寄せてきます。ここで日本側が驚いたのが、元軍の戦い方でした。当時の日本の武士というのは、一騎打ちの文化が根強く残っていて、名乗りを上げてから一対一で戦う、というスタイルが基本だったんです。ところが元軍はそんなルールお構いなしの集団戦法。太鼓や銅鑼を鳴らして統率された部隊で一気に押し寄せてくる。しかも「てつはう」と呼ばれる火薬を使った武器まで持ち込んでいて、これが炸裂すると大きな音と煙で馬が驚いてしまう。武士たちは初めて見る戦術と武器に、かなり苦戦を強いられました。 ところがここで最初の奇跡が起こります。元軍が上陸して戦った後、なぜか一旦船に戻って態勢を立て直そうとしていたところ、突然の暴風雨に見舞われてしまうんです。この嵐で元軍の船は大きな被害を受け、...

「弥生時代・邪馬台国・卑弥呼の後継ぎ、実は13歳の少女だった」卑弥呼の跡を継いだのは、まさかの十三歳。邪馬台国を救った少女王の知られざる物語

皆さん、こんにちは。 今日は邪馬台国の歴史の中でも、意外と知られていない不思議なエピソードをお話ししたいと思います。あの有名な女王・卑弥呼が亡くなったあと、いったい誰が国を継いだのか、というお話です。実はこの後継ぎ、まだ十三歳の少女だったんです。 卑弥呼といえば、三世紀ごろの日本に存在したとされる邪馬台国の女王で、中国の歴史書「魏志倭人伝」にその名が記録されている人物です。呪術のような力で国をまとめ、複数の小国が争っていた倭の国々をひとつにまとめあげたとされています。中国の魏の皇帝からは「親魏倭王」という称号を授かり、金印まで贈られたという記録も残っています。当時の東アジアにおいて、日本の存在がそれなりに重く扱われていたことがうかがえますね。 ところが、そんな卑弥呼が亡くなったあと、邪馬台国は大きな混乱に陥ります。魏志倭人伝によれば、卑弥呼の死後、男の王を立てようとしたものの、国内がまとまらず、争いが起きてしまったというのです。せっかく卑弥呼がまとめあげた国が、あっという間に分裂の危機を迎えてしまったわけですね。 この混乱を収めるために白羽の矢が立ったのが、卑弥呼の一族の少女だったと言われています。名前は「壱与」、あるいは「台与」とも読まれ、記録によって表記が揺れているのですが、いずれにしても、まだ十三歳という若さで女王に即位したとされています。現代の感覚で言えば、中学一年生か二年生くらいの年齢ですから、驚きですよね。 なぜこんなに若い少女が選ばれたのか、はっきりとした理由は分かっていません。ただ、卑弥呼自身も呪術的な力によって国をまとめていたとされることから、この一族の女性には、単なる政治力だけでなく、人々を導くような特別な存在感があったのかもしれません。争いが続く国をまとめるには、血筋の正統性に加えて、人々が納得できる象徴のような存在が必要だったのでしょう。少女が即位したことで再び国内がまとまったという記録が残っていることからも、当時の人々にとって、この選択がそれだけ重みを持っていたことが分かります。 興味深いのは、この十三歳の女王が即位したあと、邪馬台国が再び中国に使者を送っている点です。魏志倭人伝には、この時代の倭国が中国の王朝と外交関係を結び続けていたことが記されており、若い女王のもとでも、対外的な交渉がきちんと行われていたことがうかがえます。ただの飾りの...

古事記って結局何が書いてあるの?日本最古の物語をゆるく解説してみた 神様の恋物語からヒーローの冒険譚まで、日本最古の物語をやさしく紐解く

みなさん、こんにちは。今日は「古事記(こじき)」について、できるだけゆるーく、わかりやすくお話ししていきたいと思います。学校の授業で名前だけは聞いたことがあるけど、結局何が書いてあるのかよくわからない、そんな方も多いんじゃないでしょうか。実は私も、大人になってからちゃんと読んでみて「え、こんな話だったの!?」と驚いた口です。今日はその驚きをそのままみなさんにお届けできればと思います。 まず古事記が完成したのは712年、奈良時代の初め頃です。当時の天皇であった元明天皇に献上された、いわば「国が公式に認めた歴史書」のような立ち位置の本です。編纂したのは太安万侶(おおのやすまろ)という人物で、稗田阿礼(ひえだのあれ)という人が暗誦していた古い伝承を、太安万侶が文字に書き起こしたと言われています。当時はまだ日本独自の文字がなかったので、漢字を使いながらも、なんとか日本語の音やニュアンスを伝えようと工夫して書かれているんですね。この時点でもう「めちゃくちゃ苦労して作られた本なんだな」というのが伝わってきます。 では中身は何が書いてあるのかというと、大きく分けて3つのパートに分かれています。上巻・中巻・下巻です。上巻は「神代(かみよ)」と呼ばれる、神様たちの物語。中巻は初代天皇である神武天皇から、応神天皇あたりまでの物語。下巻はさらにそのあとの天皇たちの物語が続きます。つまり古事記は、単なる神話集ではなく「神様の時代から始まって、天皇の歴史につながっていく壮大な一本の物語」として作られているんです。これがまず面白いポイントで、日本という国のルーツを、神話と歴史をひと続きのストーリーとして語ろうとしているんですね。 上巻の神様パートが、実はいちばんエンタメ性が高くて面白いです。世界の始まりから話が始まって、イザナギとイザナミという男女の神様が登場し、この二人が日本列島や、さまざまな神様たちを生み出していきます。ただ、このイザナミが火の神様を産んだときに大やけどを負って亡くなってしまい、夫のイザナギが「会いたい」と思って黄泉の国(死者の国)まで会いに行くという、なんともドラマチックな展開になります。ところが黄泉の国で変わり果てた妻の姿を見てしまい、イザナギは驚いて逃げ出してしまう。怒ったイザナミに追いかけられて、命からがら現世に戻ってくる…という、ちょっとホラーめいた展開もあったり...

【昭和の常識は令和の非常識】昔のテレビが面白かった本当の理由…今では絶対放送できないヤバい演出: コンプラ無視の爆破ロケから個人情報ダダ漏れまで!?熱狂とカオスの時代を振り返る (まんたろう文庫)

みなさん、こんにちは!最近のテレビを見ていて、「なんだか優等生すぎるな」「どこかで見たような無難な企画ばかりだな」なんて感じたことはありませんか? コンプライアンスが厳しくなり、SNSでの炎上を避けるために、今のテレビ番組は本当に丁寧に、そして安全に作られていますよね。もちろん、誰も傷つけないクリーンな番組作りは素晴らしいこと。でも、ふと昔のテレビ番組を思い出すと、今の常識では考えられないような、むちゃくちゃで、エネルギーに満ち溢れた「ヤバい演出」のオンパレードでした。 今回は、【昭和の常識は令和の非常識】と題して、昔のテレビがどうしてあんなに面白かったのか、その本当の理由と、今では絶対に放送できない伝説的なエピソードの数々を、たっぷり振り返っていきたいと思います。当時の熱気を知っている方は「あったあった!」と懐かしみながら、平成・令和世代の方は「昔の日本、どんだけカオスだったの!?」と驚きながら、ぜひ最後までお付き合いくださいね。 規格外の爆破とカーチェイス!伝説の刑事ドラマ 昭和のテレビのヤバさを語る上で絶対に外せないのが、刑事ドラマのスケールの大きさです。今のドラマはCG技術が発達しているので、爆発シーンも安全にパソコン上で作れてしまいますよね。でも、昭和はすべてが「ガチ」の物理現象でした。 特に伝説として語り継がれているのが、毎週のように大爆破とカーチェイスを繰り広げていたあの超有名刑事ドラマ。なんと、ドラマの撮影のためだけに、本物の市街地を封鎖して、数千万、いや数億円単位の予算を注ぎ込んで車や建物を実際に爆破していたんです。 車好きにはたまらない(同時に少し胸が痛む)エピソードですが、画面を駆け抜けていたのは、60年代から70年代にかけての国産スポーツカーや高級車たち。日産のフェアレディZや、重厚感のあるセドリック、グロリアといった今ではとんでもないプレミア価格がついている名車が、惜しげもなくカースタントに投入され、横転し、炎上していました。 あのフェアレディZの美しい流線型のボディが、犯人とのカーチェイスの末にボロボロになっていく姿は、当時の視聴者をブラウン管の前に釘付けにしました。今、同じことをやろうとしたら、予算の問題以前に「貴重なクラシックカーを壊すな!」と世界中の旧車ファンから大ブーイングが起きて、即座に炎上騒動になるでしょう。でも、その「本物」...

前略 還暦からの歴史再入門 古代国家 奈良時代 平城京 東大寺に大仏建立 平城京に都を移す 天然痘と飢饉に苦しんだ聖武天皇はなぜ大仏を造ったのか、平城京遷都から国家的大事業の舞台裏まで

古きを訪ねて新しきを知る「温故知新」 前略、還暦からの歴史再入門、今日は奈良時代の幕開け、平城京への遷都と、東大寺の大仏建立についてお話ししていきたいと思います。前回までは飛鳥時代の大化の改新や大宝律令についてお話ししてきましたが、そうした国づくりの土台の上に、いよいよ奈良時代という新しい時代が始まっていきます。それでは早速見ていきましょう。 710年、都は藤原京から平城京へと移されます。これが今の奈良市のあたりにあたる場所です。それまでの都というのは、天皇が代わるたびに新しい場所に移すのが習わしでした。ところが平城京からは、しばらくの間、同じ場所に都が据え置かれるようになります。これは、大宝律令によって整えられた律令国家のしくみが、腰を据えてじっくり運営していく段階に入ったことを意味しています。国のしくみが整ってきたからこそ、都もどっしり構えられるようになった、というわけですね。 平城京は、当時の中国、唐の都であった長安をお手本にして作られました。碁盤の目のように整然と区画された都市計画で、中央には朱雀大路という広い大通りが南北に貫き、その両側に貴族や役人の屋敷、そして市場などが整然と並んでいました。人口は最盛期で十万人ほどにもなったと言われていて、当時としては東アジアでも屈指の大都市だったんです。海の向こうの進んだ都市計画を取り入れながら、日本なりの都をつくり上げていく、そのエネルギーには驚かされますね。 さて、この奈良時代を語るうえで欠かせないのが、聖武天皇による東大寺の大仏建立です。聖武天皇の治世は、決して穏やかなものではありませんでした。都では貴族同士の権力争いが絶えず、さらに天然痘という感染症が大流行して、多くの命が失われるという大変な時代だったんです。加えて各地では飢饉や災害も相次ぎました。こうした度重なる災いに、聖武天皇は深く心を痛め、仏教の力によって国を守り、人々の不安を鎮めようと考えるようになります。 そこで聖武天皇が発したのが、大仏造立の詔という命令です。743年に出されたこの詔では、国じゅうの銅を集め、山を削るほどの労力をかけてでも、大きな仏像を造り上げるのだという強い決意が示されています。単に立派な仏像を造りたいという話ではなく、国全体が心を一つにして仏の力にすがり、平和で安定した国をつくろうという、切実な願いが込められていたんですね。 大...

前略 還暦からの歴史再入門 古代国家 飛鳥時代 大宝律令 全国支配のための基本法 律令国家 天皇中心の理想はどうやって現実の法律になったのか、租庸調から二官八省まで律令国家のしくみを読み解く

古きを訪ねて新しきを知る「温故知新」 前略、還暦からの歴史再入門、今日は飛鳥時代の締めくくりとも言えるテーマ、大宝律令についてお話ししていきたいと思います。前回は大化の改新のお話をしましたが、あの改革をきっかけに動き出した国づくりが、一つの完成形として結実したのが、この大宝律令なんです。それでは早速、当時の状況から見ていきましょう。 大化の改新から半世紀ほどが経った701年、朝廷は大宝律令という法律を完成させます。これは日本で初めて本格的に整えられた、律と令という二本柱からなる法典です。 律というのは今で言う刑法にあたるもので、どんな行為が罪になり、どんな罰が科されるかを定めたものです。令のほうは、今で言う行政法や民法にあたるもので、政治のしくみや、役所の仕事、税の取り方、土地の扱い方など、社会全体のルールを細かく定めたものになります。 この二つがセットになって初めて、国全体を一つの法律で治める律令国家というものが成り立つわけです。 なぜこの大宝律令がそれほど重要なのか、そこをお話ししたいと思います。大化の改新のところでもお話ししましたが、あの時代はまだ、天皇中心の国づくりという方向性が示されただけの段階でした。理想は掲げたけれど、それを実現する細かいルールがまだ整っていなかったんですね。 豪族たちの力もまだ完全には抑え込めていませんでしたし、地方の役人をどう配置して、どんな仕事をさせるのか、税をどんな比率でどうやって集めるのか、そういった具体的な仕組みが手探りの状態でした。大宝律令は、そうした手探りの試行錯誤に、一つの明確な答えを出したものだと言えます。 具体的な中身を少し見ていきましょう。まず中央の政治のしくみとして、二官八省という組織が整えられました。神様を祀ることを担当する神祇官と、実際の政治を行う太政官という二つの官庁を頂点に置いて、その下に八つの省を配置し、それぞれが財政や、儀式や、軍事や、司法といった仕事を分担する形になっています。今で言う各省庁のようなものが、このころにはすでに原型としてできあがっていたんですね。 地方についても、国、郡、里という単位で統治するしくみが、より細かく整備されました。国司という役人を中央から派遣して、各地の政治を任せる。この国司という言葉、時代劇などでも耳にしたことがある方も多いんじゃないでしょうか。中央から人を送り込んで...

前略 還暦からの歴史再入門 古代国家 飛鳥時代 大化の改新 天皇中心の国家づくり 権力を握った蘇我氏はなぜ滅びたのか、中大兄皇子と中臣鎌足が目指した新しい国のかたちとは

古きを訪ねて新しきを知る「温故知新」 前略、還暦からの歴史再入門、今日は飛鳥時代の後半、大化の改新についてお話ししていきたいと思います。皆さん、大化の改新という言葉、学生時代に一度は聞いたことがあると思います。645年、乙巳の変という事件から始まる一連の政治改革のことですね。ただ、当時は年号を覚えるだけで精一杯で、実際にどんな中身だったのか、きちんと理解できていた人は案外少ないんじゃないでしょうか。今日はそのあたりを、じっくりゆっくりお話ししていきますので、どうぞ最後までお付き合いください。 まず時代背景からお話ししましょう。飛鳥時代、聖徳太子が亡くなったあと、朝廷の中では蘇我氏という一族が非常に大きな力を持っていました。蘇我馬子、そしてその息子の蝦夷、さらにその子の入鹿と、三代にわたって天皇家をしのぐほどの権力を握っていたんです。特に蘇我入鹿は、聖徳太子の息子である山背大兄王を自害に追い込むなど、かなり強引なやり方で権力を固めていきました。天皇を上回るような振る舞いをする豪族の存在に、危機感を抱いた人たちがいたわけですね。 その危機感を持った代表格が、中大兄皇子と中臣鎌足です。中大兄皇子はのちの天智天皇、中臣鎌足はのちの藤原鎌足として、日本史に大きな名前を残すことになる二人です。この二人が中心となって、蘇我氏を打倒する計画を練っていきました。そして645年、飛鳥板蓋宮という場所で、朝鮮半島の使者を迎える儀式の最中に、蘇我入鹿を暗殺するという大事件が起こります。これが乙巳の変です。突然の出来事に父親の蝦夷も観念し、自ら邸宅に火を放って命を絶ちました。こうして権勢を誇った蘇我氏の本流は、あっという間に滅びてしまったんですね。 さて、ここからが本題の大化の改新です。蘇我氏を倒しただけでは政治は変わりません。中大兄皇子たちが本当にやりたかったのは、その先にある国のかたちを大きく作り変えることでした。当時の日本は、豪族たちがそれぞれ土地や人民を私有し、まるでミニ国家のようにバラバラに支配している状態だったんです。これでは中央でどれだけ立派な政治をしようとしても、地方はてんでばらばら、税もきちんと集まらないし、いざというときに国全体で動くこともできません。そこで中大兄皇子たちは、天皇を中心とした一つの強い国家をつくろうと考えたんです。 この改革の中で特に重要なのが、公地公民と...

前略 還暦からの歴史再入門 古代国家 飛鳥時代 法隆寺 聖徳太子が建てた寺院 千四百年前の建物が今も立つ理由 聖徳太子と法隆寺の物語

古きを訪ねて新しきを知る「温故知新」 皆さん、こんにちは。 前略、還暦からの歴史再入門、今日は飛鳥時代のお話です。前回は仏教が日本に伝わったところまでお話ししましたね。百済から仏像やお経が贈られてきて、それを受け入れるかどうかで蘇我氏と物部氏が対立した、というところまで進みました。今日はその続き、いよいよ聖徳太子が登場する時代のお話です。 飛鳥時代というのは、だいたい六世紀の終わりごろから七世紀の終わりごろまでを指す時代でして、奈良盆地の南、今の奈良県明日香村のあたりに都が置かれていた時代のことを言います。この時代の主役の一人が、皆さんもよくご存知の聖徳太子です。 聖徳太子は、用明天皇の息子として生まれました。子供の頃から大変聡明だったと伝えられていて、十人の話を同時に聞き分けて理解したという逸話まで残っているほどです。本当かどうかはさておき、それくらい優秀な人物だったということが後世まで語り継がれているわけですね。 さて、蘇我氏と物部氏の対立ですが、これは仏教を受け入れるかどうかという宗教的な対立であると同時に、実は朝廷内での権力争いでもありました。この戦いに勝利したのが蘇我氏でして、その後、蘇我馬子という人物が中心となって政治を進めていくことになります。そして推古天皇が即位すると、聖徳太子はその摂政として、蘇我馬子とともに国づくりを担っていくことになるのです。 聖徳太子が行ったことの中でも、特に有名なのが冠位十二階と十七条の憲法です。冠位十二階というのは、家柄ではなく個人の能力や功績によって役人の位を決める制度でして、それまでの日本にはなかった新しい考え方でした。十七条の憲法のほうは、法律というよりも、役人たちの心構えを説いたもので、「和をもって貴しとなす」という言葉は、皆さんも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。この言葉、実は聖徳太子が作ったこの憲法の第一条に出てくる言葉なんです。 そしてもう一つ、聖徳太子が力を入れたのが仏教の振興でした。仏教を単なる外国の宗教としてではなく、国を治めるための精神的な支えとして活用しようと考えたんですね。そこで建てられたのが、今日のテーマでもある法隆寺です。 法隆寺は、聖徳太子が推古天皇や父である用明天皇の病気平癒を願って建てたと伝えられているお寺で、奈良県の斑鳩というところにあります。創建は607年頃とされていまし...

前略 還暦からの歴史再入門 古代日本 古墳時代 朝鮮三国 百済から仏像と経典が伝わる 仏教伝来

古きを訪ねて新しきを知る「温故知新」 前略、還暦からの歴史再入門、今回のテーマは古代日本、古墳時代です。 仏教伝来と聞くと、なんだか教科書的で堅苦しい印象を持たれる方も多いかもしれませんね。でも実はこの出来事、日本人の暮らしや考え方の土台を大きく変えた、とても人間くさいドラマに満ちた話なんです。今日はそんな仏教伝来のお話を、できるだけわかりやすく、皆さんと一緒に振り返っていきたいと思います。 まず時代背景からお話ししましょう。六世紀の日本列島は、大和政権を中心に豪族たちがまとまりつつある時期でした。海の向こうの朝鮮半島には、高句麗、新羅、百済という三つの国がそれぞれ勢力を争っていました。この三国、いわゆる朝鮮三国は、単に隣国というだけでなく、日本にとって最新の文化や技術を運んでくる大切な窓口でもあったんですね。鉄の道具作りや稲作の技術、漢字による文字の文化なども、こうした半島とのつながりを通じて少しずつ日本に伝わってきました。 そんな中、百済の聖明王という王様が、大和政権の欽明天皇に向けて、金銅の仏像と経典、そして仏教の教えを説明する上表文を贈った出来事があります。これがいわゆる仏教伝来の瞬間だと言われています。年代については五三八年説と五五二年説があって、今でも研究者の間で議論が続いているんですが、どちらにしても六世紀半ばの出来事であることは間違いありません。 面白いのは、百済がなぜわざわざ日本に仏教を伝えたのかという点です。実はこれ、純粋な信仰心だけの話ではなかったようなんですね。当時の百済は高句麗や新羅との争いの中で、なんとか大和政権との友好関係を強め、軍事的な支援を得たいという事情がありました。つまり仏教という当時最先端の思想や文化を贈り物にすることで、外交関係を深めようとしたわけです。今で言えば、大切な取引先に最新の技術や貴重な品を贈って関係を強化する、そんな感覚に近いかもしれません。歴史というのは、こういう人間くさい駆け引きの積み重ねで動いているんだなと感じますよね。 さて、仏像と経典を受け取った欽明天皇ですが、これをすぐに受け入れたわけではありませんでした。当時の朝廷では、この新しい教えを受け入れるべきかどうかで大きな議論が巻き起こります。特に有名なのが、蘇我氏と物部氏という二つの有力な豪族の対立です。蘇我稲目は仏教を積極的に取り入れるべきだと主張し、...

前略 還暦からの歴史再入門 古代日本 古墳時代 大和政権 豪族と大王の前方後円墳

古きを訪ねて新しきを知る「温故知新」 前略、還暦からの歴史再入門、今回のテーマは古代日本、古墳時代です。 大和政権と豪族たち、そして前方後円墳についてお話ししていきますね。 みなさん、こんにちは。今日も一緒に日本の古代史を旅していきましょう。学生時代、教科書でちらっと見た「前方後円墳」という言葉、なんだか難しそうな響きでしたよね。鍵穴のような形のお墓、というくらいの記憶がある方も多いんじゃないでしょうか。でも実はこの古墳時代、日本という国がどうやって形作られていったのか、その始まりを知る上でとても大事な時代なんです。今日はゆっくり、かみくだいてお話ししていきます。 まず古墳時代というのは、だいたい三世紀の後半から七世紀ごろまでを指す時代です。弥生時代の次に来る時代ですね。弥生時代には稲作が広まって、村同士がまとまって小さなクニのようなものができていきました。その延長線上で、力を持った豪族たちがさらに大きな勢力へと成長していったのが古墳時代です。名前の通り、この時代の大きな特徴は、各地に巨大なお墓、つまり古墳がたくさん作られたことにあります。 古墳にはいろいろな形がありますが、一番有名なのが前方後円墳です。丸い部分と四角い部分がくっついた、上から見ると鍵穴のような、あるいは瓢箪のような独特の形をしています。この形、実はほかの国にはあまり見られない、日本独自のスタイルなんですよ。大阪府にある大仙陵古墳、いわゆる仁徳天皇陵と伝えられているお墓は、全長がなんと四百八十六メートルもあります。東京ドームがすっぽり何個も入ってしまうくらいの大きさで、世界最大級のお墓のひとつとも言われています。子供の頃、写真で見て「こんな大きなお墓、いったい誰がどうやって作ったんだろう」と不思議に思った方もいらっしゃるかもしれませんね。 こうした巨大な古墳を作れたのは、それだけ強い力を持った権力者がいたからです。当時、日本列島の各地には豪族と呼ばれる有力な一族がいて、それぞれの地域を治めていました。その豪族たちの中でも、特に大きな力を持っていたのが、奈良盆地を中心に勢力を広げた大和政権です。ヤマト王権とも呼ばれますね。大和政権のトップに立つ人物は大王、おおきみと呼ばれていました。これがのちの天皇という存在につながっていくわけです。 面白いのは、前方後円墳という形のお墓が、奈良県だけでなく日本各地に...

前略 還暦からの歴史再入門 古代日本 弥生時代 邪馬台国 卑弥呼が魏に使いを送る

みなさん、こんにちは。「前略、還暦からの歴史再入門」の時間です。 今日は古代日本、弥生時代の後期、邪馬台国と卑弥呼のお話をしていきたいと思います。 学生時代、歴史の教科書で「卑弥呼」という名前を見た記憶がある方は多いんじゃないでしょうか。でも、あらためて「この人、いったい何をした人だったっけ」と聞かれると、案外はっきり答えられなかったりしますよね。今日はそのあたりを、じっくり振り返ってみたいと思います。 まず時代背景から整理しましょう。弥生時代というのは、稲作が本格的に広まり、人々がムラを作って定住するようになった時代です。稲作は豊かさをもたらす一方で、土地や水をめぐる争いも生みました。中国の歴史書「漢書」には、当時の倭、つまり日本列島には百あまりの小さな国々があったと記されています。まとまりのない小国分立の時代が長く続いていたんですね。 そんな中、日本列島は大きな争乱の時期を迎えます。中国の歴史書「魏志倭人伝」には、倭国が長い間乱れ、互いに攻め合っていたと書かれています。この混乱を収めるために、諸国が話し合って一人の女性を王として立てることにしました。それが卑弥呼です。 ここが興味深いところなんですが、卑弥呼は単なる政治のリーダーというより、「鬼道」と呼ばれる呪術的な力で人々の心をまとめた、いわばシャーマン的な指導者だったとされています。姿を見せることはほとんどなく、弟が政治の実務を助けていたとも伝えられています。神秘性をまとった存在として、国をまとめる象徴になっていたわけですね。 卑弥呼が治めた国、それが邪馬台国です。ただ、この邪馬台国がどこにあったのか、実はいまだにはっきり分かっていません。近畿地方の奈良盆地あたりとする「畿内説」と、九州北部とする「九州説」が長年対立していて、決着がついていないんです。奈良県の纒向遺跡が候補地として注目されたり、佐賀県の吉野ヶ里遺跡が話題になったり、発掘のたびにニュースになるのも、この論争がまだ生きているからなんですね。 そして今日のタイトルにもある、卑弥呼が魏に使いを送った出来事についてです。西暦239年、卑弥呼は難升米という家臣を使者として、中国大陸の魏という国に派遣しました。当時の中国大陸は魏・呉・蜀という三つの国が争う、いわゆる三国志の時代です。卑弥呼はその中の魏を選んで、朝貢を行ったわけです。 これはとても賢い外交判...

前略 還暦からの歴史再入門 古代日本 縄文土器

前略 還暦からの歴史再入門、今回のテーマは「古代日本 縄文土器」です。 暑さもようやく和らいで、博物館や資料館に足を運びやすい季節になってきました。冷房の効いた館内でガラスケースを覗き込みながら、ゆっくり歴史散歩、というのも贅沢な時間の使い方ですよね。今日はそんな展示室でよく主役を張っている「縄文土器」について、一緒に学び直してみましょう。 「縄文土器」と聞くと、教科書に載っていた茶色くて縄目模様のついた壺、というイメージを持つ方が多いのではないでしょうか。実はこの土器、今からおよそ1万6千年前から2千数百年前まで、なんと1万年以上にわたって作られ続けていたものなんです。1万年といってもピンとこないかもしれませんが、私たちが「もう半世紀前か」と懐かしむ昭和の記憶が、たった70?80年前のこと。その百数十倍もの長い時間、縄文の人々は土をこね、火で焼き固め、暮らしの道具を作り続けていたことになります。 なぜそんなに長く土器が使われ続けたのか。理由のひとつは「煮る」という調理法を手に入れたことにあります。それまで焼く・干すが中心だった食生活に、土器のおかげで「煮る」が加わりました。木の実のアク抜きができるようになったり、魚や貝を柔らかく食べられるようになったり。土器の登場は、いわば縄文人にとっての台所革命だったわけです。 模様にもちゃんと意味があります。おなじみの縄目模様は、文字通り縄を転がして表面に押し付けてつけたもの。単なる飾りというより、実用と美意識が一体になった工夫でした。中でも有名なのが、新潟県の信濃川流域で多く見つかる「火焔型土器」。燃え上がる炎、あるいは荒れ狂う波を思わせるような、驚くほど装飾性の高い造形です。煮炊きの道具にしては手が込みすぎているとも言われ、当時の人々が土器づくりに込めていた祈りや誇りのようなものを感じさせます。 地域ごとの個性が豊かなのも縄文土器の魅力です。関東の「勝坂式」、東北の「大木式」、新潟の「火焔型」など、同じ時代でも地域によって形や模様がまったく違います。インターネットもテレビもない時代に、それぞれの土地で独自の美意識が育まれていたのかと思うと、なんだか胸が熱くなりませんか。 ここで、実際に楽しむための小さなヒントをいくつかご紹介します。 まずは、お住まいの近くの県立・市立博物館の常設展示を覗いてみること。有名な国宝級の土器は東...

前略 還暦からのご近所付き合い 自治会再入門 名刺のない自分で隣人と出会い直す

前略 還暦からの再入門 こんにちは。 今日は「ご近所付き合い」、特に自治会についてのお話をしていきたいと思います。 現役時代は仕事一筋で、正直なところ自治会の集まりなんて煩わしいと感じていた方も多いのではないでしょうか。回覧板は読まずに次へ回すだけ、総会には妻や夫に任せっきり、そんな日々を過ごしてきた方も少なくないはずです。 ところが定年を迎え、家で過ごす時間が増えてくると、不思議なもので「あれ、自分は近所の人のこと、ほとんど知らないな」と気づく瞬間が訪れます。長年住んでいるはずなのに、隣の家の表札すらよく見ていなかった、なんてことも珍しくありません。 これまでは会社という大きな共同体に属していました。名刺一枚で自己紹介ができ、肩書きが自分を語ってくれていた。でも定年後は、その名刺がなくなります。代わりに頼りになるのが、実は地域という小さな共同体なんですね。自治会は、まさにその入り口です。会社員時代の肩書きを脱ぎ捨てて、ただの「近所に住む一人の人間」として付き合っていく。最初は少し心もとなく感じるかもしれませんが、それはそれで新鮮な体験でもあります。 とはいえ、いきなり役員を引き受けたり、張り切りすぎたりする必要はありません。まずは顔を覚えてもらうことから始めれば十分です。朝のゴミ出しで会う人に挨拶をする、掲示板の前で立ち話をしてみる。それだけでも、地域での存在感はずいぶん変わってきます。人間関係というのは、結局のところ小さな積み重ねでしかできあがらないものですから。焦る必要はまったくありません。 自治会活動でよく耳にするのが、「班長」や「防犯パトロール」、「夏祭りの準備」といった役割です。面倒に思われるかもしれませんが、実際にやってみると、思いのほか達成感があるという声をよく聞きます。特に夏祭りや盆踊りの準備などは、世代を超えて子どもたちや若い夫婦とも自然に交流できる貴重な機会です。 孫と同じくらいの年齢の子どもたちに「おじちゃん、ありがとう」なんて声をかけられると、思わず頬が緩んでしまうものです。また、こうした活動を通じて、自分の得意なことを活かせる場面に出会うこともあります。現役時代の経験や特技が、意外なところで役に立つのも自治会活動の面白いところです。 もちろん、人間関係ですから合う合わないもあります。無理に全員と仲良くなろうとせず、心地よい距離感を探ってい...

前略 還暦からの車 旧車再入門 あの頃憧れた一台と、もう一度出会うために

前略 還暦からの再入門 こんにちは。 今日は「旧車」についてのお話をしていきたいと思います。 還暦を過ぎたあたりから、なんだか若い頃に憧れていた車のことが、やたらと気になり始めた……そんな経験はありませんか。私も最近、昔よく街で見かけたあの丸みのあるボディや、渋い色合いのクラウンやスカイライン、あるいはハコスカやケンメリといった名前を耳にすると、思わず足を止めて見入ってしまいます。懐かしさと同時に、なんとも言えない胸の高鳴りを感じるんですね。 若い頃は生活に追われて、車といえば実用一辺倒。燃費がいいか、荷物が積めるか、家族を乗せられるか、そればかり気にしていたものです。憧れの車があっても、「いつか」と心にしまい込んだまま、日々の忙しさに紛れて忘れかけていた方も多いのではないでしょうか。 でも今は違います。子育ても一段落し、時間にも少し余裕ができた。懐だって、若い頃よりは自由に使えるようになった。だからこそ、あの頃憧れていた一台を、もう一度自分のものにしてみたい。そんな気持ちが、ふとした瞬間に湧き上がってくるのだと思います。 旧車の魅力は、なんといっても「手のかかる相棒」であるところです。今の車はボタン一つでエンジンがかかり、駐車まで自動でこなしてくれます。便利ですが、どこか味気なさも感じませんか。旧車はそうはいきません。 エンジンをかける前のひと呼吸、キャブレターの調子を見極める勘、季節によって変わる車の機嫌への気配り。まるで昔ながらの機械式の腕時計をねじで巻くような、そんな愛おしさがそこにはあるんです。手をかければかけるほど、車の方も応えてくれる。そういう関係性が、今の便利な世の中では逆に新鮮に感じられるのかもしれません。 もちろん、いいことばかりではありません。部品が手に入りにくかったり、修理を頼める工場が年々減っていたり。維持するにはそれなりの覚悟と、多少の出費も必要になります。ですから、いきなり大きな買い物をする前に、まずは旧車専門のクラブやオーナーズミーティングに顔を出してみることをおすすめします。 同世代の仲間たちが、驚くほど親切に、車種選びのコツや維持の苦労話まで色々教えてくれますよ。人とのつながりが生まれるのも、この趣味の隠れた魅力だったりします。 そして何より大切なのは、「見て楽しむ」ことから始めてもいいということです。旧車のイベントやクラシックカ...

読むと心が沈む名作 人間失格 太宰治

皆さん、こんにちは! 今日は、私の人生観に深く影響を与えた一冊、太宰治先生の「人間失格」をご紹介します。文庫本で手軽に読めるこの作品は、そのシンプルながらも力強いタイトルと、太宰文学特有の繊細な筆致で、読む者の心に強く訴えかけます。 この本の第一印象は、やはり「人間失格」という衝撃的なタイトルでした。一体どのような物語が展開されるのか、強い好奇心を抱かされます。そして、日本文学史に名を刻む天才作家、太宰治の代表作として、この作品が持つ文学的な重みも感じずにはいられません。 物語の中心は、主人公、大庭葉蔵の生涯です。幼少期から人間という存在を極度に恐れ、社会に適応できない自分自身に苦悩し、周囲に溶け込むために「道化」を演じ続けます。 その過程で、彼は多くの女性と出会い、酒や薬に溺れ、社会から逸脱していくのですが、その描写は非常に生々しく、人間の弱さや脆さを容赦なく描き出しています。 葉蔵が人間を理解できない、あるいは人間らしく振る舞えないという葛藤は、現代社会に生きる私たちも少なからず抱えるであろう、他者との関係における不安や疎外感を映し出しているように感じます。 この作品の最大の長所は、人間の心の奥底に潜む普遍的な孤独感や自己否定の感情を、これほどまでに赤裸々に、そして繊細に描き出した点にあるでしょう。 葉蔵の破滅的な生き様は、読者に重苦しい感情を抱かせることもありますが、同時に、人間誰しもが持つ弱さや葛藤に対する深い共感と理解を促します。太宰治は、社会から「失格」と判断されるような人間を通して、むしろ「人間らしさ」とは何かを問いかけているかのようです。 一方で、この作品のテーマは非常に重く、暗いものです。読む人によっては、気分が沈んでしまう可能性も否定できません。また、葉蔵の自己中心的な行動や、倫理的に問題のある描写に、不快感を覚える方もいるかもしれません。しかし、それら全てが「人間失格」という作品の核であり、太宰治が描きたかった人間の姿なのです。 この本を読む上でのヒントとして、葉蔵の行動を単に批判するのではなく、彼がなぜそのような行動をとってしまうのか、その背景にある心理や苦悩に焦点を当てて読むことをお勧めします。彼が「道化」を演じることでしか社会と繋がれなかった理由を想像することで、人間の複雑な内面が見えてくるはずです。 総じて、「人間失格」は、人間の弱さ、...

婚約者が消えた。真相が怖すぎる直木賞作家、辻村深月さんの著書『傲慢と善良』

皆さん、こんにちは! 今日は、直木賞作家、辻村深月さんの著書『傲慢と善良』について、じっくりお話ししたいと思います。この本、読んだ後、ずっしりと心に残るものがあって、なかなか忘れられないんですよ。 物語は、ある男女の出会いから始まります。主人公は、信頼していた婚約者の突然の失踪という、あまりにも過酷な現実を突きつけられます。 そこから失踪の真相を追い求め、一人で、そして時には協力者と共に、彼が残した足跡を辿っていきます。様々な人間模様や、これまで見えなかった真実、そして、ある「傲慢」な意図と、それに対抗する「善良」な試み、あるいはその逆のシナリオまで、いくつもの可能性に直面していきます。 この本の特に素晴らしい点は、登場人物たちの心理描写の巧みさです。 出会う人々、そして失踪した婚約者についても、その行動原理や感情の機微が、非常にリアルに、そして多角的に描かれています。 読んでいると、まるで自分もその場にいて、彼らの葛藤や苦悩、そして喜びを追体験しているような感覚になります。 特に、失踪した婚約者の人物像が、調査によって徐々に明らかになっていく過程は、まさに圧巻です。なぜ失踪したのか、その動機は何だったのか。そして、その裏には一体どのような「傲慢」が潜んでいたのか、あるいは、一見すると「善良」に見える行動の裏に隠された意図は何なのか。読者は一緒に、真相に迫っていくのです。 この小説の面白さは、単純な謎解きだけではなく、人間の持つ二面性、善意や悪意が入り混じる複雑な感情、そして「普通」とは何か、「善良」とは何か、という普遍的な問いを投げかけてくる点にあります。 私たち自身が、意図せず誰かに「傲慢」になっていたり、あるいは「善良」であろうとしたことが、思わぬ結果を招いてしまうこともあるのではないか、そんな風に考えさせられます。 長所として、やはり辻村さんの物語構成力と、登場人物の心理描写の深さが挙げられます。読者をぐいぐい引き込み、ページをめくる手が止まらなくなる中毒性があります。また、社会的なテーマ、例えばSNSでの情報拡散や、個人のプライバシーの問題などもさりげなく織り込まれており、現代社会を生きる私たちにとっても、多くの示唆に富んでいます。 短所というか、この本を楽しむ上での注意点としては、展開がやや重厚で、読後感もずっしりくるため、軽いエンターテイメントを求めて...

前略 還暦からの読書 文庫本再入門

前略 還暦からの再入門 蝉の声も落ち着いて、少しずつ秋の気配を感じる頃となりました。今日は少し肩の力を抜いて、読書のお話をひとつさせてください。テーマは「文庫本」です。 テーマは「文庫本」 「最近は本を読んでも、なかなか集中できなくて」と感じていませんか。実は、還暦を迎えたこれからこそ、読書をゆっくり味わい直すのにいい時期なんです。仕事や子育てに追われていた頃とは違い、一冊の本と向き合う時間を、自分のためだけに使えるようになったのですから。読み終えたら誰かに感想を聞かれるわけでもない、そんな気楽さも今だからこそ味わえるものです。 まずおすすめしたいのは、若い頃に夢中になった一冊を、もう一度手に取ってみること。同じ物語でも、還暦を迎えた今読み返すと、当時とは違う場面に心を動かされたりするものです。登場人物の年齢を、今の自分が追い越していることに気づいて、しみじみすることもありますよ。文庫本なら価格も手頃で、手のひらに収まるサイズ感も、鞄に一冊忍ばせておくのにぴったりです。 読み方に、決まりごとはありません。最初から最後まで律儀に読み通す必要はなく、気になったページから開いても構いません。途中で飽きたら、いったん本棚に戻してしまってもいいのです。一日に数ページでも、続けていれば確かに読み終わります。目が疲れやすいと感じるなら、字の大きな大活字本や、耳で楽しむオーディオブックを試してみるのもいいでしょう。 読む場所も、ちょっと工夫してみませんか。お気に入りの喫茶店で、コーヒー片手にページをめくる時間。以前お話しした一人旅の道中で、文庫本を一冊お供にする旅。そんな小さな贅沢が、日常に静かな彩りを添えてくれます。図書館を利用すれば、気になる本を気軽に試せるのも嬉しいところですし、返却期限が、続けて読むちょうどいい後押しになることもあります。 一冊の本が連れて行ってくれる世界に、年齢の制限はありません。忙しかった日々にそっと蓋をして、今日はページをめくる時間を、自分に贈ってみませんか。書店の文庫本コーナーを、あてもなく眺めて歩くだけでも、きっと新しい出会いがあるはずです。 草々 40代からの「読書再入門」: 大人の読書術 前略 還暦からの再入門 (まんたろう文庫)

前略 還暦からの園芸 家庭菜園再入門

前略 還暦からの再入門 夏野菜が食卓を彩る季節になりましたね。今日は少し肩の力を抜いて、庭仕事のお話をひとつさせてください。テーマは「家庭菜園」です。 「家庭菜園」 「畑もないし、家庭菜園なんて自分には縁がない」と思っていませんか。実は、還暦からの家庭菜園は、ベランダのプランターひとつからでも十分に始められるんです。広い庭も、専門的な知識も、実はそれほど必要ありません。むしろ、手をかけすぎないくらいがちょうどいい、初心者向けの趣味なんですよ。 家庭菜園がいいのは、体を自然と動かせること。土を耕したり、水をやったりする動作は、以前お話しした自重トレーニングのように、無理なく体を使う習慣になります。日光を浴びながらの作業は、気分転換にもぴったりですし、日々のちょっとした運動不足の解消にもなりますよ。そして何より、自分で育てた野菜は、格別の美味しさです。以前お話しした自炊にも、ちょうどいい主役が加わりますね。 初心者におすすめなのは、ミニトマトやシソ、バジル 初心者におすすめなのは、ミニトマトやシソ、バジルといった、手間のかからない野菜やハーブです。特にミニトマトは、日当たりさえよければプランターでもぐんぐん育ち、夏の間じゅう収穫を楽しめます。葉物野菜も、種をまいてから収穫までが早く、達成感を味わいやすい存在です。枝豆も、育てやすく、収穫したてを茹でるだけで格別のごちそうになりますよ。 道具も、じょうろとスコップ、あとは軍手があれば十分。ホームセンターで、苗と土、プランターをセットで揃えれば、その日のうちに始められます。水やりを忘れないように、毎朝の日課にしてしまうのもおすすめです。植物の成長を毎日眺める時間は、思っている以上に心を穏やかにしてくれます。虫がついたり、うまく育たなかったりすることもありますが、それもまた家庭菜園の醍醐味だと思って気楽に構えてくださいね。 小さな芽が出て、花が咲き、実がなる。そのひとつひとつの変化を見守る時間は、還暦からの暮らしに、静かで確かな喜びを添えてくれるはずです。育てた野菜をお裾分けすれば、ご近所との会話が生まれることもあります。まずはひと鉢、ベランダに置いてみませんか。 草々 秋から始める初心者向け家庭菜園: シニアのためのスマート・ガーデニング 前略 還暦からの再入門 (まんたろう文庫)

前略 還暦からの防災 備蓄再入門

前略 還暦からの再入門 還暦を迎えた皆様、いかがお過ごしでしょうか。今日は「還暦からの防災 備蓄再入門」と題して、お話しさせていただきます。 還暦からの防災 備蓄再入門 「防災グッズ、一応揃えたはずなんだけど…」なんて方、多いんじゃないでしょうか。実は、若い頃に用意した備蓄品、そのままにしていませんか?賞味期限が切れていたり、体力が落ちて重い水を運べなくなっていたり、還暦を過ぎると「昔の備え」が今の自分に合わなくなっていることが、意外と多いんです。 まず見直したいのが「水と食料」。一般的には1人1日3リットルの水、3日分が目安と言われますが、還暦世代なら、持ち運びやすい2リットルより500ミリリットルのペットボトルを多めに揃えるのがおすすめです。軽くて扱いやすいですからね。食料も、硬いものより、レトルトのお粥や柔らかいパンなど、歯や胃に優しいものを選びましょう。 水と食料 次に大事なのが「お薬」です。持病をお持ちの方は、お薬手帳のコピーと、最低でも1週間分の常備薬を非常持ち出し袋に入れておくと安心です。かかりつけ医の連絡先も忘れずに。 そして意外と見落としがちなのが「メガネや補聴器の予備」。普段使っているものが壊れたり流されたりすると、情報収集も避難行動も一気に難しくなります。予備を用意しておくだけで、いざという時の安心感がまるで違いますよ。 体力面では、重い荷物を持って避難するのが難しくなってきますよね。だからこそ、キャリーカート付きの防災リュックや、両手が空くタイプのバッグを選ぶのがコツです。ご近所さんとの日頃のお付き合いも、実はこの世代の立派な防災対策。いざという時に助け合える関係を、今のうちから作っておきましょう。 備蓄は「一度揃えたら終わり」ではなく、年に一度、季節の変わり目にでも見直す習慣をつけると安心です。無理せず、自分のペースで、今の自分に合った備えを整えていきましょう。 草々 シニアのための新防災習慣: シニアの住まい 災害への備えと住環境を整えるためのポイント 前略 還暦からの再入門 (まんたろう文庫)

前略 還暦からのペット 犬猫との暮らし再入門

前略 還暦からの再入門 いつもお世話になっております。 夏の日差しもいくらか和らいできましたね。 そうだ 今日は少し肩の力を抜いて、暮らしのお話をひとつさせてください。テーマは「犬猫との暮らし」です。 前略 還暦からの再入門 「この歳から新しくペットを迎えるなんて」と、少しためらっていませんか。実は、還暦を迎えたこれからこそ、犬や猫との暮らしが心の支えになってくれることも多いんです。可愛いわね 子育てを終えた家に、また小さな命の気配があるだけで、毎日にはっきりとした張りが戻ってきます。動物と触れ合う時間が、気持ちを穏やかにしてくれるというのは、よく知られた話でもありますね。 「犬猫との暮らし」です。 犬との暮らしなら、朝夕の散歩が自然と生活のリズムを整えてくれます。以前お話しした体づくりにも、実はこれほど続けやすい習慣はありません。 歩いているうちに、同じように犬を連れた方と顔なじみになることも多く、新しい人付き合いのきっかけにもなります。猫との暮らしなら、もう少しゆったりとしたペースで、穏やかな時間を分かち合うことができますよ。 決まった時間にご飯をあげたり、日向ぼっこする姿を眺めたりするだけでも、一日にちょうどいい区切りが生まれます。 とはいえ、迎える前に考えておきたいこともあります。子犬や子猫はかわいらしいものですが、十数年という長い時間を一緒に過ごす体力と責任が伴います。もし体力面や将来のことが気になるなら、性格が落ち着いていて、お手入れの負担も少ない、成犬や成猫、シニアの保護犬猫を迎えるという選択肢もおすすめです。 保護犬猫 おりこうさんね 保護団体を通じて出会う子も、たくさんいますよ。フードや通院にかかる費用も、事前にざっくりと把握しておくと安心です。もしものときに備えて、ペット保険への加入や、いざというときに頼れる家族や友人との相談も、早めにしておくと安心です。 命を預かるというのは、簡単なことではありません。それでも、帰宅したときに尻尾を振って迎えてくれる存在がいることは、何にも代えがたい喜びです。言葉を交わさなくても、そばにいるだけで気持ちが和らぐ。 そんな関係は、人と人との間にはなかなか生まれないものかもしれません。還暦からの暮らしに、そっと寄り添ってくれる小さな家族を迎えてみるのも、素敵な選択肢のひとつではないでしょうか。 草々 60代のペット...