あの人と再会したのは、春のはじまり、まだ風が少し冷たい午後でした。
「もしかして……千景さん?」
振り返ると、そこに立っていたのは、大学時代のサークル仲間、藤木くん。いや、もう"くん"なんて歳じゃないのに、口から自然とそう呼びたくなってしまうのは、あの頃のままの優しい笑顔のせいかしら。
「藤木くん……ずいぶん変わったわね。背が高くなったような……あら、違うかしら、私が縮んだのかしらね」
思わずそんな冗談を言ったら、あの人も笑ってくれて。その笑顔が、昔と全然変わってなくて……心がじんわりと、温かくなったのを覚えてる。
その日からよ。あの人と、時々お茶をするようになったのは。
お互い、結婚して、子育てして、いろんなものを手放して、いろんなものを得て。今は……それぞれ、ひとり。
「もう恋なんて、無理だって思ってた」と、藤木くんは言った。
「好きって言葉に、もうドキドキしなくなった自分が嫌だった」とも。
それを聞いたとき、私、黙って頷いたの。
わかるわよ、その気持ち。私も同じだったから。
でもね、不思議なの。あなたと話してると、胸の奥が……まだ、動くの。
どきんって、小さく。だけど確かに、跳ねるのよ。
ああ、私、まだ恋ができるんだって――
気づかせてくれたのは、あなただった。
歳を重ねたからこそわかる、優しさも、臆病さも、寂しさも、全部。
「もう一度、好きになってもいい?」って、心の中でつぶやいた。
声には……まだ、出せていないけれど。
ねえ、藤木くん。あなたは今、どんな気持ちで私を見ているの?
……それが、ちょっとだけ知りたくなった、春の午後のこと。
それから数日して、藤木くんからメッセージが届いたの。
「週末、よかったらお花見でもどうですか?」
お花見なんて……何年ぶりかしら。子どもが小さい頃は、お弁当を持って近くの公園に行ったりもしたけれど、それもずいぶん昔のことになっていたわ。
「ええ、行きましょう」
そう返したあと、スマートフォンの画面を何度も見返してる自分に、ちょっと苦笑いしてしまったの。
「なにやってるのよ、私。若くもないのに、まるで恋する乙女じゃない」
でも、気がつくと――私は口紅の色を変えて、去年は一度も着なかった淡いピンクのストールを手に取っていたの。
そして迎えた週末。
桜の並木道で藤木くんと合流して、私たちはゆっくり歩きながら話をしたわ。取り留めもない話ばかり。だけどそれが、妙に心地よくて。
「千景さん、今日の服……なんだか春らしくて、似合ってますね」
そんなふうに言われたとき、心の奥が、ふっと温かくなったの。
「ありがとう。あなたに言われると、なんだかうれしいわね」
風がふわっと吹いて、桜の花びらが舞ったわ。まるで、私たちの間にあった時間の隙間を埋めるように。
ベンチに並んで腰かけて、私たちはしばらく無言で空を見上げていた。
「ねえ、藤木くん。もしもよ……」
思わず声に出してしまったの。
「もしも……また誰かを好きになってもいいって、思えたとしたら……それって、わがままかしら?」
彼は少し驚いたように私を見て、それから、ゆっくりと首を横に振ったの。
「わがままなんかじゃ、ないですよ。むしろ……自然なことじゃないですか」
「ほんとに?」
「ええ。だって……僕も、最近そう思えるようになってきたから」
その言葉に、心が大きく揺れた。
――ああ、やっぱり私、もう一度恋をしてる。
まだはっきりとは言わないけれど、私たちの距離は少しずつ、確かに近づいている。
春の風に吹かれながら、私は心の中で、そっともう一度つぶやいたの。
「ありがとう……また好きになっても、いいのね」
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