……ねぇ、あなた。
まだ、私のことを憶えているの?
白い帯に、藍色の小紋。
あの晩、あなたが見惚れた着物よ。
「綺麗ですね」って、私の袖をそっと持ち上げて……
あのときの手の温度、今でも忘れられないの。
ねぇ……あれは、恋だったのかしら。
それとも、気まぐれ?
でも私にとっては、
あれが最後の春だったの。
夫とは、もう長いこと目も合わさない。
子どもたちはそれぞれの生活に夢中で、
私は“家庭”という名の檻の中で、音もなく老いていくだけ。
そんなとき、あなたが現れたの。
雨の茶屋町。
濡れた石畳の上を、すれ違うだけのはずだったのに……
あなたは、振り返ったの。
まるで、私の名前を知っていたみたいに。
それから毎週、木曜の午後三時。
私は着物を着て、あなたの部屋へ向かった。
肌を重ねたのは一度だけ。
でもそれで充分だった。
あなたが、私を“女”として見てくれた……
その記憶だけで、私の血は今も騒ぐのよ。
……なのに、あなたは突然消えた。
連絡も、言葉も、何もなく。
まるで最初から存在しなかったみたいに。
でもね、私は待ってるの。
あの部屋の匂いを思い出しながら、
今夜も、鏡の前で着物の襟を整える。
あなたが私の髪をほどいたあの瞬間を、
袖に残る微かな香りと共に、
何度も、何度も、なぞるのよ。
ねぇ、戻ってきて。
でなきゃ私、……あなたを探しに行くわ。
どんなに遠くても。
どんなに暗くても。
この絹の裾を引きずってでも……
あなたの匂いを辿って、追いかけるの。
ねぇ……私、まだ綺麗?
あなたの瞳に、
あの夜みたいに映るかしら?
――答えてよ。
今夜、夢の中ででもいいから。
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