未解決事件捜査大作戦「白い傘の記憶」
駅前のロータリーで、一本の白い傘を拾った。
骨が少し曲がっていて、手元には小さな名前のシールが貼られていた。「佐伯」。それだけの、ありふれた忘れ物だった。
その日、俺は仕事を辞めた帰りだった。十年勤めた会社。誰にも引き止められず、誰にも見送られず、静かに去った。雨が降り出し、慌てて拾った傘が、この「佐伯さん」のものだった。
駅から家までの道、白い傘の中は不思議と明るく感じた。
翌日、交番に届けようと思ったが、なんとなくやめた。代わりにその傘を使い続けた。梅雨が明ける頃には、少しずつ愛着が湧いてきた。
ある日、駅の掲示板に貼り紙があった。
「白い傘を探しています。亡き母の形見です。佐伯」
胸の奥で、何かが止まった。
俺はその夜、傘を磨いた。手元のシールを指でなぞりながら、何度もため息をついた。返さなければいけない。だが、あの白い傘の下でだけ、俺は少し前を向けた気がしたのだ。
翌朝、貼り紙の番号に電話をかけた。
受話器の向こうで、若い女性の声が震えていた。傘を受け取ると、彼女は泣きながら何度も頭を下げた。
「母は、いつもその傘で私を迎えに来てくれたんです」
そう言って、彼女は空を見上げた。
俺も一緒に見上げた。灰色の雲の向こうに、ほんの少しだけ光が差していた。
その日、久しぶりに履歴書を書いた。
――人の忘れ物を拾ったつもりが、拾ったのは自分の心だった。
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