夜の帳が下りる頃、私はいつも決まった場所に立っていた。街灯の明かりがぼんやりと照らすのは、古びたアパートの入り口。そこで、私は誰かを待っていた。いや、正確には『何か』を、だ。
そのアパートで起こった奇妙な出来事を耳にしたのは、もう数ヶ月前のこと。住人たちが次々と姿を消し、後に残されたのは、ただ空っぽの部屋と、言いようのない不安だけ。警察の捜査も打ち切られ、事件は迷宮入りしたかに思われた。
でも、私は諦めなかった。なぜなら、私には他の人には見えない『何か』が見えていたから。それは、アパートに漂う、歪んだ想念の残滓。消えた住人たちの、恐怖と絶望の叫びだった。
毎晩、アパートの前に立つたびに、その想念は私に語りかけてくる。囁くように、懇願するように。彼らは、私に助けを求めているのだ。
ある夜、いつものようにアパートの前に立っていると、背筋が凍るような感覚に襲われた。何かが、すぐそこにいる。振り返ると、暗闇の中に、ぼんやりとした人影が見えた。それは、私がずっと待ち望んでいた『何か』だった。
「あなたは…誰?」
震える声で尋ねると、人影はゆっくりと近づいてきた。そして、街灯の明かりに照らされたのは、信じられない光景だった。それは、数ヶ月前に姿を消したはずの女性だった。
「助けて…」
女性は、掠れた声でそう言った。彼女の目は虚ろで、生気が感じられない。まるで、魂が抜け落ちてしまったかのようだった。
「何があったの?」
私は、女性に近づきながら尋ねた。彼女は、震える手で私を掴み、必死の形相で話し始めた。
「あのアパートには…何かいるの。私の…好みのタイプ…の男…が現れて…そして…」
彼女の言葉は途切れ途切れで、何を言っているのかよく分からない。しかし、彼女の恐怖は、ひしひしと伝わってきた。
「落ち着いて。ゆっくり話して」
私は、女性の肩を抱き寄せ、優しく語りかけた。すると、彼女は少しずつ落ち着きを取り戻し、話し始めた。
彼女が語ったのは、信じられないような話だった。アパートに引っ越してきてから、毎晩のように、彼女の好みのタイプの男性が現れるようになったという。最初は、夢でも見ているのかと思ったが、それは現実だった。
男性は、いつも優しく、彼女の心を癒してくれた。彼女は、次第に男性に惹かれていった。しかし、ある夜、男性の様子が急変した。彼は、彼女を押し倒し、首を絞め始めたのだ。
「苦しい…助けて…」
彼女は、必死に抵抗したが、男性の力には敵わなかった。そして、意識が遠のいていく中で、彼女は見た。男性の顔が、恐ろしい形相に変わっていくのを。
気がつくと、彼女はアパートの部屋に倒れていた。男性の姿はどこにもなく、ただ、首には絞められた跡が残っていた。それから、彼女は毎晩のように、悪夢にうなされるようになったという。
「私は…どうしたらいいの?」
女性は、涙ながらに訴えた。私は、彼女の手を握り、力強く言った。
「大丈夫。私が必ず助けてあげる」
私は、女性と共に、アパートの中に入っていった。そして、私たちは、そこで、信じられない光景を目にした。
アパートの部屋の中には、無数の人影が漂っていた。それは、姿を消した住人たちの魂だった。彼らは、皆、同じように苦しみ、彷徨っていた。
そして、その中心には、一人の男性が立っていた。彼は、ニヤリと笑い、私たちを見つめていた。
「よく来たな、獲物たちよ」
男性は、低い声でそう言った。彼の姿は、見る間に変わり、恐ろしい怪物へと姿を変えていった。
「お前の正体は…一体何なんだ?」
私は、怪物に睨みつけながら尋ねた。怪物は、哄笑しながら答えた。
「私は、お前たちの心の闇だ。お前たちが、最も恐れるものだ」
怪物は、私たちに襲いかかってきた。私は、女性を守りながら、必死に抵抗した。しかし、怪物の力は強大で、私たちは徐々に追い詰められていった。
その時、女性が叫んだ。
「私の好みのタイプじゃない!」
すると、怪物の動きが止まった。彼は、信じられないという表情で、女性を見つめた。
「何…だと?」
「だって、あなたは全然優しくないし、私の話も聞いてくれない。私の好みのタイプとは全然違うわ!」
女性は、涙ながらに訴えた。すると、怪物は、苦悶の表情を浮かべ、体を震わせ始めた。
そして、彼は、悲鳴を上げながら、消滅していった。
怪物が消滅すると同時に、アパートに漂っていた魂たちも、光となって消えていった。アパートは、静寂に包まれ、元の姿を取り戻した。
私たちは、アパートを後にした。女性は、すがすがしい表情で、私に感謝の言葉を述べた。
「ありがとう。あなたのおかげで、私は救われたわ」
私は、女性に微笑みかけた。そして、彼女と共に、夜の街を歩き出した。私たちを包むのは、静かで穏やかな空気だった。
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