夜の帳が静かに降り、煤竹色の障子越しに淡い灯が揺れる。香の煙がゆらゆらとたなびき、かすかに沈香の甘い香りが漂う中、私はじっと座していた。
柔らかな絹の襦袢が肌を撫でるたび、心の奥底に隠していた熱がじんわりと広がっていく。高鳴る鼓動を抑えながら、私はそっと彼の名を呼んだ。
「……先生」
彼は静かに佇んでいた。闇に溶ける黒羽織のまま、深い眼差しだけをこちらに向けている。うつむく私の前にゆっくりと歩み寄ると、指先がそっと頬をなぞった。
「まだ、迷っておられるのですか?」
低く掠れた声が耳元をくすぐる。思わず肩を震わせると、彼の指が私の顎を持ち上げた。その瞳に映るのは、迷いを滲ませた私の姿。
「いけません……こんなこと……」
言葉は震え、行燈の明かりが揺れるのと同じように、私の心も揺れ動く。しかし、彼の指がそっと襟元に触れると、その熱に抗うことができなかった。
そっと、結ばれていた帯が解かれる。絹が滑る音が静寂の中に響き、露わになった白い肌に、ひんやりとした空気がまとわりつく。だが、それもすぐに彼の温もりに溶かされていった。
「あなたのことを、ずっと……」
囁かれた言葉に、私は目を閉じる。指が髪を梳き、くちづけがそっと額に落ちる。熱を帯びた唇が、頬をなぞり、ゆっくりと私の唇へと触れた。
香の煙がゆらゆらと揺れ、静寂の夜が密やかに溶けてゆく。
外では、夜風に煽られた紅葉が、ひらりひらりと舞い落ちていた。
長い夜が、静かに更けていく。
肌に残る余韻と、胸を満たす切なさが混じり合い、私は彼の腕の中に身を預けた。温かな指が肩を撫で、静かに髪を梳く。その仕草が、愛おしくてたまらない。
「寒くはないか?」
低く響く声に、私は微笑んで首を振る。
「いいえ……とても、あたたかいです」
彼の胸に頬を寄せると、心臓の鼓動が耳元に伝わる。一定のリズムが、私の心を穏やかに包み込んでいく。
「……このまま、朝にならなければいいのに」
ふと、漏れた呟き。彼は何も言わず、そっと私を抱き寄せた。障子の向こうでは、遠くで夜更けを告げる鐘の音が響いている。
この密やかなひとときが、ずっと続きますように。
私はそっと、彼の指に触れた。
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